「ガラパゴスと評されている」ことは認識できても「ガラパゴスである」ことが認識できなくなっている……

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火曜日

-毎日新聞 2020年1月22日 「大津園児死傷 地裁、被告の保釈取り消し 論告求刑やり直しの見通し

このニュースにはさすがに驚きました。「起訴内容を争う」とはいっても事故を起こしたこと自体を否認しているのではなく、先行する報道によれば事故に巻き込まれた「直進車の過失について新たな主張をしたい」とのことにすぎません。被告人の言動はワイドショー的な関心を掻き立てるようなものであるようですが、保釈取り消しはいかなる意味でもペナルティーであってはならず、単に捜査や公判維持の便宜のためにしかあってはならないことです。

カルロス・ゴーンによって日本の「人質司法」への国際的な関心が高まっているときにこのような決定が下ることは、日本が「人質司法」への批判に対して開き直っているというメッセージを国際社会に送ることになるでしょう。

ゴーンの逃亡をうけて、マスメディアでは日本の刑事司法が「ガラパゴス」と評されていること自体は報じています。しかし「ガラパゴスである」ことが問題である、という認識は希薄なようです。

-『週刊新潮』2020年1月23日号(デイリー新潮) 「ゴーン使用パソコンの提出拒否! なぜ弘中弁護士に強制捜査をかけないのか

このパソコンを差し押さえるという検察の方針のバカバカしさは、他ならぬこの記事が明らかにしています。「でも、これだけ日本を貶(おとし)めているゴーンを守ることが正しいのでしょうか」。かくかくしかじかの犯罪を立証するためにはこれこれこういう次第でこのパソコンを押収する必要があります……というはなしではまったくないのです。

さらに記事の結び部分にある「これが世間の皮膚感覚だろう」というフレーズにも注目したいところです。仮にも個人のプライバシーに関わるパソコンを押収するという主張の根拠が「世間の皮膚感覚」なのです。この「世間」は言うまでもなく国際的なスタンダードなど無視することでしか成立しない、超ローカルな規範の根拠に過ぎません。

同じような場面が1月19日放送の「そこまで言って委員会NP」(読売テレビ)にもありました。この日のテーマは「日本の司法はガラパゴス化?ゴーン&IR&死刑」(レコーダーに記録された番組データによる)。熊谷6人殺人事件の高裁判決が一審の死刑を破棄した無期懲役だったことについて、元公安検事の弁護士若狭勝は「一般常識から考えて、やっぱり死刑ですよ」と発言。しかしこの番組内でも(一応)紹介されていた通り、これは国連加盟国の大半では「常識」でもなんでもありません。

さらにひどかったのは、裁判を傍聴したという小川泰平です。

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そこまで言って委員会NP」2020.1.19

被告人の凶悪さを強調し高裁判決を批判しようとしてペルーで服役中(終身刑ですらない有期刑)の兄を引き合いに出したわけですが、これは二重の意味でやぶ蛇であるはずです。第一に、国際的には6人どころか25人を殺害しても死刑にならない国が多数派である、ということ。さらに責任能力が争点となったこの裁判を語る際に被告人の兄の連続殺人を引き合いに出せば、(弁護側が主張していた)統合失調症には遺伝的な要因もあるというのが通説である以上、心神耗弱を認めた高裁判決を後押しする結果にすらなりかねないからです。近代的な司法制度について論じる力量がない連中が墓穴を掘る所を見物させてもらいました(なおもうひとりのゲスト、本村健太郎弁護士の発言はすべてまっとうなものであったことを同氏の名誉のために付け加えておきます)。もっとも、日本というローカルな「世間」では、この墓穴掘りがきちんと墓穴掘りとして認識されるか、怪しいところですが。