震災対応へのなりふり構わぬ擁護論について

水曜日

早いもので阪神淡路大震災から29年、もう来年には30年目という節目の年を迎えます。今回の北陸大震災のように元旦でこそありませんでしたが、まだ正月気分の名残も残っている時期でした。

当時のことでとても印象に残っていることの一つは、もっとも高い震度を記録した地域に住んでいながら、被害の規模を理解できるまでにはかなり時間がかかったことです。当時在宅していた3人でまずは台所の片付けに取りかかったものの予想される作業量の膨大さに呆然としているうちに、近所に住む祖父母の様子を見に行かねばと思いいたり、玄関を出たところで初めて隣のアパートが倒壊していることに気づきました。幸い自宅の周辺では火災は起きていなかったため、その時点でもまだ被害の広がりと深刻さを理解できていなかったことになります。

 

さて今回の震災にあたっても、第二次安倍政権のころから顕著になってきた自公政権のあり様がはっきりと現れていると思います。そう、市民の生命や生活を気にかける「ふり」すら真面目にしようとしない酷薄さのことです。2011年の民主党政権はもとより、95年の自社さ政権の震災対応についてすらいまだにSNSではデマに基づく非難が吹聴されているわけですが、これと比べるとネトウヨやりふれ派による岸田政権への擁護っぷりは実に対照的です。なにしろ震災対応の遅れを否定するために、自衛隊の無能さを強調することまで辞さないほどです。岸田でこれなんだから安倍政権当時ならもっとすごかったのでしょう。

SNSどころかインターネットの利用すら一般化していなかった95年との比較は困難ですが、2011年にこれほどの民主党政権擁護論を見た記憶はありません。党派的な振る舞いというのは誰でもするものとはいえ、やはり自民党支持層の“なりふり構わなさ”は群を抜いている感があります。これじゃあなにがあっても選挙に負けないのも納得がいきます。下駄の雪が踏まれ続けるのは勝手ですが、巻き添えを食らって見殺しにされるのは御免被りたい。でも巻き添えになるんですよね。