湖東病院事件で再審開始

2003年に発生した「湖東記念病院」事件で、再審開始が確定しました。検察の特別抗告を最高裁が18日付けで却下しました。

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MBSは昨年1月に「映像’18」枠(当時)で「再審決定〜元看護助手・無実の訴え〜」を放送しており取材を継続していると思われるので、今後に期待したいと主ます。

他方で、再審開始を認めないという決定も東京地裁で下っています。請求人は鈴木宗男氏。受託収賄などでの有罪判決に対して再審請求をしていました。

鈴木宗男元議員の再審認めず :日本経済新聞

 

西日本新聞が免田栄さんの近況記事

-西日本新聞 2019年3月13日 「免田さん資料継ぐ 再審請求中「死刑停止」…国の解釈示す文書も 再審無罪の記録寄贈

1983年に日本の死刑囚で初めて再審無罪となった「免田事件」の免田栄さん(93)=福岡県大牟田市=が、自身の再審や死刑に関する資料を熊本大文書館(熊本市)に寄贈した。再審請求中における死刑執行の国の解釈を示す文書も含まれ、同館は「再審制度を考える上で非常に貴重な資料」としている。2019年度中に目録にまとめ、一般に公開する予定。

見出しでも言及されていますが、記事の後続部分には国から免田さんに「再審請求中により死刑の執行はされない」という趣旨の文書が届いていたことが記されています。

 

-西日本新聞 2019年3月13日 「老いても消えない冤罪の傷 「元死刑囚」免田さんの願い

こちらは免田さんに直接取材した記事。いまだに周囲のひととの交際に気後れを感じていることなど、冤罪の重みが伝わってきます。「再審無罪後も「やっぱりおまえが犯人だろう」と中傷され続けた」ことについては、当ブログでも立川談志による二次加害をとりあげたことがあります。

西日本新聞の志布志事件記事

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木曜日

もう一ヶ月前のことになりますが、『西日本新聞』が Yahoo!ニュースとの共同企画で志布志事件の“その後”を伝える記事を掲載しています。

志布志・選挙買収冤罪 虚偽の自白なぜ? 無罪確定も「まだ犯罪呼ばわり」|【西日本新聞】

とりわけ衝撃的なのは次の部分です。

 10年前と同様、居間で取材に応じてくれた2人。藤山さんは5年前に定年退職し、今は農業をしながら暮らす。「冤罪の“後遺症”はもうない。集落の人の暮らしも元通りになったよ」と成美さん。だが夫婦は2日前、買い物をしている時、見知らぬ年配の女性に「警察に捕まった人よね」と声をかけられた。「まだ犯罪者呼ばわりするのかと頭に来てねえ」。藤山さんの声がうわずった。

あれだけ冤罪であることが大きく報道されていてこれ。冤罪の重さと事件報道の負の影響がよくわかります。

これが差別だ

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月曜日

「差別とはどういうことか」を説明するのにうってつけの事例を見つけたので。

 他の人々がやらずに済むことを一部の(必ずしも数的に少数とは限らない)人々だけが強いられる。これが差別であるわけです。

 このように引用RTするとこういうメンションが返ってきました。

 

そして他の人々には与えられている選択肢が一部の人々から合理的な根拠なく奪われていること。これが差別であるわけです。

 単なる「感情の問題」ではないことの指摘から出発しているのに「感情の問題」に矮小化しているのも差別の否認にはつきものの手口です。逆に同性婚の法制化を拒否するのに「感情」以外の理由があるのか、自省してみたことなどないのでしょう。

さてもう一つ。同性カップルは多くの場合性的関係を含む関係性であるわけですが、このアカウントはそれを法的に保護するのに「養子縁組」という手段を“ご提案”しているわけです。私は同性カップルがいまの日本社会でサヴァイブするために養子縁組という手段を選ぶことを否定も批判もしません。しかし「同性婚じゃなくても養子縁組があるじゃないか」という主張は、ジェンフリバックラッシャーたちがよく言うところの「家族破壊主義」ではないんですかね?

全方位にひどい裁判

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火曜日

東スポWeb 2019年01月26日 「妻とSEXできず性犯罪に走った夫 判決に垣間見えた女性たちの思い」(http://archive.fo/8jEiy

SNSで散々っぱら非難されていた判決。なにぶん東スポの記事なので実際の裁判よりゲスく見えている可能性もありますが。

しかし結果としてこのような弁護戦術が奏功したと言ってよい以上、被告人やその家族にはどうしたってこのような証言をする動機が生じてしまいます。なんといっても取調べ〜裁判の過程で“反省”しているように見えるかどうかが量刑を大きく左右しますし。指摘されているのは見かけませんでしたが、「保釈申請を選ばず、反省のために拘置所で4か月過ごした点も評価された」というのも、もしそれが本当ならば大問題です。拘置所は“反省”のために設けられている施設ではないのに、被告人の当然の権利が主張しづらい構造が刑事裁判の中にできあがっていることになります。

しかもこの「反省」が、男性中心の司法関係者がもつフォーク・サイコロジーに照らして評価されてしまうというのが第二の問題点。「夜の相手をしてもらえない欲求不満から犯行にという犯行動機の供述が SNS では非難轟々でしたが、“反省”の証として犯行動機を“率直に”供述することが求められ、かつ“率直に”供述しているかどうかが前述のようなフォーク・サイコロジーによって評価されてしまうのだとすると、このような供述はむしろ取調べる側、裁く側によってつくり出されているのだと考えることもできるでしょう。

『記者襲撃』

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日曜日

・樋田毅、『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』、岩波書店

 

もうかれこれ一年くらい前に刊行されかなり話題になったものだが、ようやく手を伸ばした。まとまった書評にはならないがいくつか雑感を。

 

本書に登場する人物は一部を除いて仮名にされていることは事前に承知していた。だが読んでみて気づいたのは、ある程度の予備知識がある人間にとっては誰のことかが明確にわかる(あるいは簡単に調べがつく)ような手がかりが書かれているということだった。例えば「りんご農園を営んで」とあれば当ブログの読者の方ならたいてい「ああ、彼か」とわかるだろう。興味本位で実名がネットに流れるようなことは防止しつつ意欲のある読者ならさらに情報を集めることも可能にする……というのを意図したのであれば、それなりに頷ける手法のように思う。

 

当然ながら警察(刑事、公安双方)の体質や新聞社と警察の関係についての記述もいくつかある。なかでもすでに定年退職した元刑事への取材で、マークされた右翼への事情聴取にあたり「警察庁の幹部から、それぞれ自分の担当する人物が犯人に間違いないと確信して取り組むように、との指示があった」(69ページ)という一節にはため息をついた。袴田事件における警察の捜査資料にも同趣旨の指示が記されていたからだ。

 

右翼担当の公安警察官が右翼となれ合い的な関係を築いていることはよく知られているが、「事件のしばらく後」の時期に公安二課長だった警察官の発言(201ページ)にはさすがに驚いた。そのように考えることには驚かないが、『朝日新聞』の記者に対してそれをぬけぬけと語る、という点に、だ。さすがに取材した右翼から「かつての警察と右翼の麗しい関係を残す最後の幹部」(同所)と言われるだけのことはある。

 

著者は2014年8月以降『朝日新聞』は萎縮していると批判し、また植村隆・元記者を「社として積極的に守ろうとする姿勢が見られなかった」ことについても「極めて残念」としている(210-211ページ)。このような危機感についてはまったく同感だけれども、だからこそ社の幹部と統一協会との馴れ合いを疑われるような関係などについても記述したことについて、「私は朝日新聞社を故意に貶めるつもりなど毛頭ないし」(221ページ)という断り書きなどは書いて欲しくなかった。いうまでもなく、自らが属する集団への批判を辞さない姿勢を「自虐」だとする攻撃を右翼は続けてきたのだし、そうした言いがかりの最大のターゲットになってきたのが『朝日新聞』だった。このような断り書きが必要だと考えることは、右翼の攻撃に屈する第一歩ではないのだろうか? と思えたからである。