これが差別だ

f:id:apesnotmonkeys:20081226100639j:plain

月曜日

「差別とはどういうことか」を説明するのにうってつけの事例を見つけたので。

 他の人々がやらずに済むことを一部の(必ずしも数的に少数とは限らない)人々だけが強いられる。これが差別であるわけです。

 このように引用RTするとこういうメンションが返ってきました。

 

そして他の人々には与えられている選択肢が一部の人々から合理的な根拠なく奪われていること。これが差別であるわけです。

 単なる「感情の問題」ではないことの指摘から出発しているのに「感情の問題」に矮小化しているのも差別の否認にはつきものの手口です。逆に同性婚の法制化を拒否するのに「感情」以外の理由があるのか、自省してみたことなどないのでしょう。

さてもう一つ。同性カップルは多くの場合性的関係を含む関係性であるわけですが、このアカウントはそれを法的に保護するのに「養子縁組」という手段を“ご提案”しているわけです。私は同性カップルがいまの日本社会でサヴァイブするために養子縁組という手段を選ぶことを否定も批判もしません。しかし「同性婚じゃなくても養子縁組があるじゃないか」という主張は、ジェンフリバックラッシャーたちがよく言うところの「家族破壊主義」ではないんですかね?

全方位にひどい裁判

f:id:apesnotmonkeys:20081226100523j:plain

火曜日

東スポWeb 2019年01月26日 「妻とSEXできず性犯罪に走った夫 判決に垣間見えた女性たちの思い」(http://archive.fo/8jEiy

SNSで散々っぱら非難されていた判決。なにぶん東スポの記事なので実際の裁判よりゲスく見えている可能性もありますが。

しかし結果としてこのような弁護戦術が奏功したと言ってよい以上、被告人やその家族にはどうしたってこのような証言をする動機が生じてしまいます。なんといっても取調べ〜裁判の過程で“反省”しているように見えるかどうかが量刑を大きく左右しますし。指摘されているのは見かけませんでしたが、「保釈申請を選ばず、反省のために拘置所で4か月過ごした点も評価された」というのも、もしそれが本当ならば大問題です。拘置所は“反省”のために設けられている施設ではないのに、被告人の当然の権利が主張しづらい構造が刑事裁判の中にできあがっていることになります。

しかもこの「反省」が、男性中心の司法関係者がもつフォーク・サイコロジーに照らして評価されてしまうというのが第二の問題点。「夜の相手をしてもらえない欲求不満から犯行にという犯行動機の供述が SNS では非難轟々でしたが、“反省”の証として犯行動機を“率直に”供述することが求められ、かつ“率直に”供述しているかどうかが前述のようなフォーク・サイコロジーによって評価されてしまうのだとすると、このような供述はむしろ取調べる側、裁く側によってつくり出されているのだと考えることもできるでしょう。

『記者襲撃』

f:id:apesnotmonkeys:20081226100549j:plain

日曜日

・樋田毅、『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』、岩波書店

 

もうかれこれ一年くらい前に刊行されかなり話題になったものだが、ようやく手を伸ばした。まとまった書評にはならないがいくつか雑感を。

 

本書に登場する人物は一部を除いて仮名にされていることは事前に承知していた。だが読んでみて気づいたのは、ある程度の予備知識がある人間にとっては誰のことかが明確にわかる(あるいは簡単に調べがつく)ような手がかりが書かれているということだった。例えば「りんご農園を営んで」とあれば当ブログの読者の方ならたいてい「ああ、彼か」とわかるだろう。興味本位で実名がネットに流れるようなことは防止しつつ意欲のある読者ならさらに情報を集めることも可能にする……というのを意図したのであれば、それなりに頷ける手法のように思う。

 

当然ながら警察(刑事、公安双方)の体質や新聞社と警察の関係についての記述もいくつかある。なかでもすでに定年退職した元刑事への取材で、マークされた右翼への事情聴取にあたり「警察庁の幹部から、それぞれ自分の担当する人物が犯人に間違いないと確信して取り組むように、との指示があった」(69ページ)という一節にはため息をついた。袴田事件における警察の捜査資料にも同趣旨の指示が記されていたからだ。

 

右翼担当の公安警察官が右翼となれ合い的な関係を築いていることはよく知られているが、「事件のしばらく後」の時期に公安二課長だった警察官の発言(201ページ)にはさすがに驚いた。そのように考えることには驚かないが、『朝日新聞』の記者に対してそれをぬけぬけと語る、という点に、だ。さすがに取材した右翼から「かつての警察と右翼の麗しい関係を残す最後の幹部」(同所)と言われるだけのことはある。

 

著者は2014年8月以降『朝日新聞』は萎縮していると批判し、また植村隆・元記者を「社として積極的に守ろうとする姿勢が見られなかった」ことについても「極めて残念」としている(210-211ページ)。このような危機感についてはまったく同感だけれども、だからこそ社の幹部と統一協会との馴れ合いを疑われるような関係などについても記述したことについて、「私は朝日新聞社を故意に貶めるつもりなど毛頭ないし」(221ページ)という断り書きなどは書いて欲しくなかった。いうまでもなく、自らが属する集団への批判を辞さない姿勢を「自虐」だとする攻撃を右翼は続けてきたのだし、そうした言いがかりの最大のターゲットになってきたのが『朝日新聞』だった。このような断り書きが必要だと考えることは、右翼の攻撃に屈する第一歩ではないのだろうか? と思えたからである。

「大崎事件の『供述弱者』と再審における供述心理鑑定」

f:id:apesnotmonkeys:20081226100336j:plain

金曜日

とりあえずはてなブログに移行したものの、編集方法などぜんぜん調べていないのでしばらくは試行錯誤しながらの運営となると思いますが、よろしくお願いいたします。

さて、来る1月25日(金)、立命館大学の朱雀キャンパスにおいて公開セミナー「第41回修復的司法セミナー」が開催され、大崎事件の弁護で知られる鴨志田裕美弁護士が講演されることになっています。参加費は不要ですが申し込みは必要とのこと。

f:id:apesnotmonkeys:20190118103707j:plain

 

再審を空洞化させる検察の無責任さ


朝日新聞DIGITAL 2018年12月20日 松橋事件の再審、無罪確定へ 地検が有罪主張せず
松橋事件の再審において検察が有罪主張を行わない方針を明らかにし、事実上無罪が確定した、という報道です。
しかしこの再審はたった2ヶ月前、検察の特別抗告を最高裁が棄却したことで開かれることが確定したものです。それまで再審開始に反対していた検察が、いざ再審となれば有罪主張しないというのです。有罪主張ができないような事案で、特別抗告までして再審開始に抵抗するというのはいったいどういうことなのでしょうか? 真犯人だと主張できない男性に「殺人犯」の汚名をかぶせつづけることを検察は望んだということになります。また、再審請求審においては特別抗告までしておきながら再審では有罪主張すらしないということになれば、再審請求審が事実上の再審だということになってしまいます。
刑事訴訟における検察の上訴そのものにも疑義が呈されているわけですが、少なくとも再審開始の決定に対する抗告は認めないよう、法改正が必要でしょう。

グラン・カナリア島の日本漁船


別館のこの記事への関連記事です。
Eテレの語学番組「旅するスペイン語」、今シーズンはスペイン領カナリア諸島が紹介されています。12月26日に放送された第13回では、こんな話題もとりあげられていました(年明け1月8日に再放送)。


もちろん狙いは大西洋クロマグロです。こんな獲り方をしてきた国が今になって中国や韓国の漁業に文句を言っているわけです。
なお取材当時港に停泊中だった日本漁船も登場しましたが、インドネシア人乗組員が多数いたのは、先日サメの密輸で摘発された日本の水産会社の漁船と同じですね。外国人実習生に大きく依存している水産加工ともども、漁業という産業の現在を考えさせられます。