むしろ「更生」を放棄しているのでは?


原理的に言えば「更生の可能性は0%ということはあり得ない」というはなしはこの際脇において蓋然性の問題として考えるなら、確かに「更生するとは思えない」と言わざるを得ないような事例が存在するだろうことは認めてもよい。しかし死刑という刑罰は「更生が可能だったかどうか」の検証を不可能としてしまうのであるから、更生可能性が主たる争点(の一つ)となっている場合には特に慎重な検討が要求されることは言うまでもない。
今回の判決では被告人が未成年であることが報道で強調されているが、同時に事件から判決まで1年も経っていないことも無視できない。「反省」ってそんなに簡単なことか? と言いたくなる。これで控訴でもすれば「やっぱり反省してなかった」と言われるのだろうか。しかし控訴せずに死刑になったとしても何人が「しまった、反省してたのかもしれない」と考えるだろうか。
判決を受けた読売新聞の社説は次のように書いている。

 最高裁が06年にまとめた調査では、被告が少年の場合、9割以上の裁判官が刑を「軽くする」と回答した。これに対し、一般市民の半数は「重くも軽くもしない」と答え、「軽くする」と答えた市民は4分の1にとどまった。


 少年犯罪に対する市民の厳しい見方の表れだろう。
(http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20101126-OYT1T00116.htm)

では残り4分の1は?

 殺人事件の被告が少年だった場合、市民の4人に1人が「成人よりも刑を重くするべきだ」と考えている−。最高裁司法研修所は15日、市民と裁判官を対象に実施した量刑意識に関するアンケート結果を発表、判断のポイントによっては両者に大きな隔たりがあることが明らかになった。(中略)殺人事件を素材とし、39の量刑ポイントについて意見を聞いたところ、多くは傾向が一致したが、はっきり分かれたのは少年事件。裁判官は「成人より刑を軽くする」が90%を超え「重く」はゼロだったが、市民は約半数が「どちらでもない」を、25・4%もの人が「重く」を選択した。将来の更生のため刑を軽くするなどの配慮がある少年法を前提とした「裁判官の常識」が通用しないことが浮き彫りになった。
(http://www.47news.jp/CN/200603/CN2006031501006050.html)

強調は引用者。少年だから厳罰に、というのは私の理解を超えた発想なのだが、そう考える人間が4分の1もいるのだというのは理解不能の2乗だ。被告人の更生可能性を問う以前に、この社会はそもそも更生させるということに関心など持っておらず、それがこの調査結果に現れているのではないか、とすら思えてくる。