『“環境問題のウソ”のウソ』のカスタマーレビューをみて


山本弘氏の『“環境問題のウソ”のウソ』(楽工社)という本は読んでいないのだが、Amazon のカスタマーレビューをながめていると山本氏の指摘の妥当性を認めつつもある種の反感を示しているレビューがいくつかあり、その反感が共通して山本氏の「書き方」「論じ方」に向けられているのがわかる。

ただ、この本では武田氏の批判ばかりなのですが、そうではなく、武田氏の本に書かれていたウソではない面、著者の山本氏が納得できる面についてももっと積極的に書いてほしかったと思います。賛成と反対に分かれて非難しあうのではベクトルが良い方向へ向かうとはとうてい思えません。
(……)
もう一度賛成派と反対派というレッテルを張り合って相手をやり込めあうようなやり方ではなく、環境問題の問題点を探り合っていくような話し合いを望みます。この点で星一つ減点かなぁ。

間違いを指摘するのは良い。「何かを批判する場合は正しい論理と事実に基づくべき」とする主張もその通り。ただ、この本はそれが行き過ぎて、「環境問題の議論」よりも、武田氏の論を否定する事が目的化してしまっているように感じる。本当に批判すべき「敵」は武田氏個人なのだろうか?とかく日本人は自国民を非難するが、本当に地球環境を憂うなら、日本など比べ物にならない環境汚染大国であるロシアや中国を非難すべきだろう。

一方,山本氏は環境問題に対しては一定のスタンスを表明しているものの,
この本が書かれた所以は,捏造は許せないという,別な信念に由来している.
両者の立ち位置は初めからまったく違うのである.


したがって,せっかく調べた膨大な資料が,
環境問題という大きなテーマの本質に迫るのではなく,
武田氏の個人批判に多くの部分を使ってしまっている.
そこが読者の共感を得られにくくしているように思う.

「商品」として出版されている以上「面白く読ませる」ための工夫はされているだろうし、その工夫を逆に嫌だと思う人がいてもおかしくはないだろう。しかし“武田氏を批判すること”への拒否感がいずれにも垣間見えるのが興味深い。
既に述べたようにこの本は読んでいないから、山本氏の武田氏批判が妥当であるかどうかについては立ち入らないが、武田氏のように大学教員という立場で環境問題について(数多くの批判にもかかわらず)継続的に発言しつづけている人物の主張を批判する際に、その人物は批判せずにすませるなんてことができるだろうか?