続き

前回までのあらすじ:hokusyu 氏にせよ私にせよ批判しているのは「表現の自由キリッ」であって、表現行為に対する現状以上の法規制を主張したことは一度もない。そして、「表現の自由キリッ」な人間が実在の犯罪被害者の尊厳を毀損するようなことを言ったのを批判したら「俺だって仕事の方が大事」と言い出す人が現れたので「仕事のはなしだったら表現の自由とははなしが別になりますね」と返答した、ということ。


さて、前回のエントリに直接関わる経緯はこう。

表現の自由についての議論にするからだろうに。俺はhokusyu君の表現の自由を一度も否定してないと思うぞ。言論的に批判はするが。文章が読めないか、党派的に叩きたいだけだから読みたいとこしか読まないのか。どうしょうもない連中だなあ。


そりゃ、基本的人権を否定してしまえたら、これ以上強力な攻撃はないからな。不愉快なものを排除したい人には飛びつきたい物言いなんだろうな。でもそれ感情論で通しちゃダメだから。


表現の自由は、内容の善悪以前の問題だから、その水準で議論をしたら善悪判断はされないよそりゃ。善悪の話がしたいならそういうレイヤでしろよ。倫理とかの話をするなら俺もこうは言わないよ。


「許せない!」→「法規制されるべき!」 「法規制されるべきでない」→「批判してはいけないというのか!」

なんという短絡思考。
(http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091213/p1)

usoki はてサが議会に代表を送り込んでるわけじゃないので、まさに倫理の次元での批判なのだが。倫理的批判なんて屁とも思わん奴らだからこそ自由を濫用できる。その結果としての人権侵害は放置するのがNaoki的人権の尊重 2009/12/14
(http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091213/p1)

さんざん前にも言ったけど、法に言及してる時点で法の議論だよ。規制するぞ、って脅しかけた時点で倫理の議論なんてすっとぶだろ。そしてポルノ表現に表現の自由を主張するのは、そもそも自由の濫用ではないと考える。表現の自由の一部に根っから組み込まれている重要な要素だからだ
(http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091215/p3)

Apeman 「法に言及してる時点で法の議論だよ。」 はぁ?/「規制するぞ、って脅しかけた」なんてわら人形たたきには「はぁ?」としか言いようがない。周回遅れどころかトラックを逆走だよ。 2009/12/15〔スラッシュ以降は後の追記〕
(http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091215/p3)

「規制で仕事が奪われる? 仕事の問題なら補償金でももらえばいいんじゃん?」ってうそぶいてた奴がど の 面 下 げ て 言 う ん だ ろ 。


吹けば飛ぶよなエロゲ業界が、抵抗も出来ずに規制されるなんてことになった時に、補償金ぶんどれるわけがねえだろってのも分かってて言ってんだろうしな。そもそも金の問題じゃねえが。
(http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20091215/p5)


こうやってならべるだけでもう事態は明白なんで、ほんと、バカバカしいなぁ。
表現の自由キリッ ではすまない」がどうして「基本的人権を否定」になるんだよ。法に言及したら法の議論って、トリヴィアルな意味ではそりゃそうに決まってるけど、まさか「法の議論=法規制せよという主張」とか思ってないよな? hokusyu さんが自分の議論を「倫理の次元」のそれとして位置づけてるかどうかは知らないが、「表現の自由キリッ」を批判するのは「表現に対する法規制はできる限り回避すべき」という前提があってこそ、というのははっきりしている。だって、そうじゃなきゃ「法規制しちまえ」と言えばすむんだから。
表現の自由というのは「個人の尊厳」に立脚した理念だ。だからある種の表現によって人の尊厳が傷つけられているということが問題になっているときに「表現の自由キリッ」ですましてしまうことは自己破壊的な議論だ。だからこそ furukatsu を批判したわけだ。そこへ表現の自由とは別の「仕事」という論点持ち込んで「仕事の方が大事」って言い出したのは誰だ?