BS世界のドキュメンタリー「冤罪から救出せよ 〜アメリカ無実プロジェクト〜」


関連エントリ


アメリカで百人を超える死刑囚を含む二百数十名の冤罪を晴らしてきた実績をもつ、「無実プロジェクト(イノセンス・プロジェクト)」をとりあげた番組。
ロースクールが拠点となって、弁護士である教員だけでなく学生も参加しているという点が興味深かった。ウィスコンシン大のジョン・プレイ准教授、キース・フィンドリー教授が立ち上げたウィスコンシン無実プロジェクトでは、無実プロジェクト(以下IP)が履修可能な課程となっているとのこと(他の大学での事情は明らかにされていない)。刑事司法について学ぶにはまたとない機会だよなぁ。
番組の軸になっているのは、取材当時このウィスコンシンIPが救援活動をしていたコーディ・バンデンバーグ受刑者のケース。強盗・殺人未遂事件で禁固80年。2009年の時点ですでに14年間受刑していた。一命を取り留めた被害者の目撃証言が有罪の決め手となったが、番組によれば写真による被疑者の同定のプロセスに問題があったようだ。直ちには加害者を特定できなかった被害者に、警察は事件から2日後、まだ意識のはっきりしない被害者の証言をもとに作成した似顔絵を参照させてしまった。さらに、事件当時被害者は酔っていたことも(学生のアイデアで)明らかになる。つまり、二重の意味で信頼性を欠く目撃証言をもとに作成された似顔絵に似た人物を被疑者として特定してしまったわけだ。
その後ウィスコンシンIPは別件で入獄していた別人が犯行をほのめかしていることを突き止め、2006年に獄中で自白を録画することに成功する(日本じゃ考えられないことだ!)。09年4月に再審を請求するが、地裁が却下。その理由は「新証言は必要とされない」と翻訳されていたが、原文は "would [not] necessarily have been material to" となっていたので、ちょっとニュアンスが違うのではないかと思う。1年半後、上級裁判所が再審開始の決定を下す。


虚偽自白(嘘の自白)についての授業風景も非常に印象的だった。12歳の少女が自宅で殺害され14歳の兄が被疑者として取調べを受けている場面の録画が再生される。「妹の死と、自分に向けられた強い疑い。絶望感は頂点に達します」「そこへ偽りの証拠が出されます」(ナレーション) 捜査員が「君の部屋から血痕が出たよ」とカマをかけ、浜田寿美男氏のいうところの「弁明不能感」が決定的なものとなる。そこで被疑者が「やったとしても 覚えてない 思い出せないんだ」と供述しているのが興味深い。浜田氏が「自己同化型」(「事件前後のことを問い詰められて、うまく思い出せないまま、自分の記憶に自信を失って、自分がやったのかもしれないと思うようになる自白」)と分類する虚偽自白に近い状況だったことが伺える。
続いて虚偽自白の体験者オチョア氏(ウィスコンシンIPによる初の救出者)が授業で証言。「トイレに行っている間も尋問だ」「録画をとめた後 カメラが無いトイレで警官が容疑者を殴る」「腹を殴れば跡は残らない それから質問を再開する」と、部分的な可視化では意味が無いことを強調。「警察が止めたがる時は何かを隠している」という発言は、今の日本なら「警察や検察が“録音してないよね?”と確認したがる時は何かを隠している」と変換可能だろう。「先進地のシカゴではそれ〔警官が録画を止めること〕は禁止された すべて録画される 廊下にいてもだ」と紹介されている。プレイ准教授は「証拠がある」という嘘が虚偽自白を引き出す強力な手段である、と解説。「自白した方がまだ楽だ」という心境に陥るほどの無力感が虚偽自白につながるのはどこでも同じであることがわかる。
この番組で最も印象的だったシーンの一つは、無罪の確定したオチョア氏を被害者女性の母親が祝福している映像だった(その後母親は「死刑が廃止されてほしい」と表明)。冤罪を晴らす運動と被害者やその遺族の間には本来対立などないこと、さらにいえば被疑者・被告人の権利擁護だって被害者やその遺族と対立するものではないということを、実に力強く伝えているからだ。もっとも、バンデンバーグ受刑者のように被害者自身の目撃証言が有罪の決め手となったようなケースでは、被害者の納得が難しいのはやむを得ないところだろう。取材に対しても「ノーコメント」と述べるだけだったが、これを責めることはできまい。


死刑が執行された事件が冤罪であったことが明らかになったテキサス州では、3年前に過去の有罪事件を再調査するセクションを設立、トップには地元のIPから登用された弁護士が着任。番組では19年前!の取調べの録画をチェックするところが紹介されていた。詳しい説明はなされなかったが被疑者の男性は聾者であるとのことで、障害への配慮を欠いた取調べがあったのかもしれない。
ダラス郡の検事正はこのセクションの設立について、「最終目標はダラスの司法制度の信頼回復です」「当初は現場からの抵抗もありました(……)しかし改革は公開される必要がありました」と話す。また連邦政府も各地のIPに資金援助(ウィスコンシンIPの場合今年度65万ドル)を始めているという。佐賀県警のすばらしすぎる粘り腰と比較したい。

警察が八百長をやらせておいて逮捕したあげく決して謝罪しようとしないんだから、大相撲協会も見習えばよかったんだよ。


現在の日本での冤罪に対する関心は、誤ったDNA鑑定によって有罪とされた足利事件によるところが大きいので、IPの活動家がDNA鑑定を有効な武器とし、また連邦政府の資金援助もDNA鑑定が可能なケースだけに限られていることに違和感をもつ人もいるかもしれない。DNA鑑定の一般的な信頼性が向上すればするほど、「もし標本の採取や保存、鑑定の過程に人為的なミスがあったら?」という危惧が生じるのもたしかだが、DNA鑑定が有罪の証拠として用いられる場合と無罪の証拠として用いられる場合とでは事情が異なる、ということは言えるだろう。


保釈が決まって自由になった直後のバンデンバーグ氏の戸惑いがちな様子も印象的だ。なにしろ刑務所から出てきたらカセットテープのサイズの携帯プレイヤーに1万曲以上が入る世の中になっていたのだ。「すべてを奪われましたよ。刑務所にいる間に両親は死んでしまったし。他人との付き合いもなくなりました。友達も一からゆっくりとつくっていますよ。みんな離れていったからね。」「普通のものを食べて普通の番組も見られる。そういうことを今ゆっくりと自分のものにしているところです。」 無実の罪での服役だったという事実が、15年という年月をより重いものにしているのは確かだろう。しかし、では真犯人であったなら「たかが15年」と言えるのだろうか。もちろん、被害者やその遺族の痛手は当事者以外にはなかなか理解しがたいものである。それと同時に、我々の多くは「15年間刑務所にいるとはどういうことか」だって実感をもって理解してなどいない、ということを改めて教えてくれる番組でもあった。