足利事件、再審決定

再審の決定自体はすでに事実上決まっていたことなので、今日の朝日新聞夕刊に掲載されていた識者コメントについて。

裁判批判不合理
東京高裁で刑事事件の裁判長を務めた村上光鵄(こうし)弁護士の話 再審を経て無罪が確定すれば、当初の有罪判決が誤っていたことになる。科学的証拠に対する過信や自白の取り方に問題がなかったのかは検証されるべきだが、必ずしも再審手続きの中ですべきことではない。再審は元の裁判を非難するために行うのではなく、新たな証拠に基づいて文字通り改めて裁判をする手続きだ。今回の決定は、DNA型の再鑑定によって無罪を言い渡すべき新証拠があると判断した。もっと早く、再鑑定すべきだったとの思いもあるが、元々の裁判でこの新証拠がなかったにもかかわらず、再審開始決定と同じ判断をすべきだったと批判するのは不合理だ。

このコメントは江川紹子氏の裁判所批判(ここで書かれていることと部分的に重なる内容)と並べて掲載されている、いわゆる「両論併記」の一方という扱いであるから、まあコメントをとる側も裁判所を弁護する人間をわざわざ捜し出してきた、ってわけだ。しかしそれにしても、「必ずしも再審手続きの中ですべきことではない」って、じゃあ裁判所や検察庁が自発的に検証するのを待て、とでも? 横浜事件についても裁判所は「免訴にすりゃいいんだろ」という態度に終始し、かつて日本の司法が治安維持法による冤罪事件に加担したという歴史に直面することを避けているわけだが、要するに冤罪を引き起こした当事者たちにその誤りを直視させるための場などこの国には存在していない、ということだ。
このコメントが無視しているもうひとつのポイントは「元々の裁判でこの新証拠がなかったにもかかわらず」という部分にある。たしかに「この新証拠」そのものは以前の段階では存在しなかったものだ。しかし無期懲役が確定した最高裁の段階では弁護側は独自のDNA鑑定結果をもとに再鑑定を申請している。最高裁はこの申請を却下、さらに再審請求時に宇都宮地裁は「鑑定に使った毛髪が菅家さんのものである証明がない」という噴飯ものの(だって、そんなことどうやって証明しろ、っていうの?)理由で再審請求を却下している。今晩放送されたNHK「クローズアップ現代」のスタジオゲスト、木谷明氏(法政大法科大学院教授・元東京高裁部総括判事)ははっきりと、宇都宮地裁の判断は弁護の余地がない、と批判していた。「真犯人が再鑑定を要求するはずがないのだから、要求があること自体から“なにかおかしい”と気づかないといけない」(大意)と。


なお足利事件についてはDNA鑑定の問題がどうしても焦点化される傾向にあるが、「クローズアップ現代」では自白調書それ自体にも問題があることに触れ、浜田寿美男へのインタビューを使用、無実のひとが「犯人を演じる」(参考)よう追い込まれることが決して特殊なケースではないことを(スタジオゲストのコメントで補強して)指摘していた。


追記:「実のところ、常軌を逸しているのは被疑者ではなく、彼のおかれた状況なのである。常軌を逸した状況のなかで、被疑者はごく正常な心理として「犯人になる」ことを選ぶ」(浜田寿美男、『自白の心理学』、岩波新書、137ページ)