遅まきながら小沢一郎の“キリスト教は独善的”発言について


 民主党小沢幹事長は10日、和歌山県高野町高野山金剛峯寺を訪ね、102の宗教団体が加盟する「全日本仏教会」会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会談した。


 小沢氏は会談後、記者団に、会談でのやりとりについて、「キリスト教イスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」などと述べたことを明らかにした。


 さらに、小沢氏は記者団に、「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと私は思っている」とも語った。
(後略)

政治的に愚劣な発言であることについては議論の余地がないが、私はこの種の認識は(実際に口に出すかどうかは別として)この社会の少なからぬ成員がもっているのではないか、その意味で根深い問題ではないか、という気がする。ごく断片的な例証にすぎないが、キリスト教関連の話題に関しては次のような反応があるわけだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/world/news/20090315-OYT1T00155.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1224026.html
「西洋文明は行き詰まってる、これからは東洋(日本)文明」的な夜郎自大は「近代の超克」論にも、日本でのポスト・モダンの流行にも伴っていたのではないか。
それから「あらゆるものを受け入れ」というのを無批判に肯定しているのも気になる*1。この点に関する丸山眞男の問題提起はいまでも意味をもっていると私は思う。

*1:それから「みんな仏になれるという」という部分については、本覚思想と差別のつながり、という問題にも目配りが必要では。