いや、穫るなよ

金曜日

www.toonippo.co.jp

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もちろん「未利用」だったのは魚体が小さいからです。生きていればやがて十分な大きさの成魚に育ったであろう魚を獲ってラーメンのスープに加工しているわけですから、エースコックマーケティング副本部長の「食品ロスという身近なテーマから、SDGs(持続可能な開発目標)に取り組んでいく」というコメントには「じゃあ穫るなよ」という感想しか湧いてきません。

天王寺動物園で珍事

火曜日

www.sankei.com

当ブログで使用しているチンパンジーの写真は天王寺動物園で撮影したものですが、その天王寺動物園チンパンジーが逃げ出す事故があったとのことです。

チンパンジーの犬歯は人間とは比べ物にならない大きさですから、噛まれた男性の怪我が深刻でないことを祈りたいと思います。

菊池事件、弁護側が立証計画提出へ

月曜日

nordot.app

www3.nhk.or.jp

菊池事件の第4次再審請求で弁護側が立証の柱に据えるのが、元死刑囚(執行済)の親族の証言に関する心理学者の鑑定であることが報じられました。上記2つの記事では鑑定書の詳しい内容はわかりませんが、「菊池事件公開学習会」として Youtube に公開されている動画でそれと思しき内容が紹介されています。

www.youtube.com

こちらの動画の1時間18分あたりから大槻倫子弁護士が鑑定書について講演していますが、それによれば鑑定にあたったのは京都大学の大倉得史氏だということです。

これまでの再審請求事例では裁判所は心理学者の鑑定を評価しない傾向にあるようです。飯塚事件と並びすでに死刑が執行済の事件で再審へのハードルは一層高いと思われますが、裁判所の評価に注目したいと思います。

 

「袴田事件57年」

TBSが8月6日に放送した袴田事件についてのドキュメンタリーを関西ではMBSが9月17日に放送しましたので視聴しました。

www.tbs.co.jp

先日亡くなられた桜井昌司さんの追悼番組が深夜に放送されるのではないか、とこの一ヶ月アンテナをはっていたので見つけることができましたが、深夜というより明け方の午前5時からの放送でしたので危うく見落とすところでした。

大崎事件弁護団の鴨志田弁護士や14年に静岡地裁で裁判長として再審開始の決定を出した村山浩昭弁護士(現)に取材して、再審をめぐる制度的な問題点を指摘した点は、特に目新しい情報があったわけではありませんが、法改正のための世論喚起のために必要なことをきちんととりあげたと評価できます。ただ、この番組に限らず再審開始決定前後の報道全般に言えることとして、最高裁によって絞られた論点すなわち「5点の着衣の血痕の色」に疑惑が限定されてしまい、他にも多数ある捜査・裁判の問題点がスルーされがちという問題がありそうです。

たしかに再審開始の決め手になったのは「血痕の色」問題であり、また他の問題点と切り離して単独でとりあげてもわかりやすいというメリットもあるのでしょう。しかし当事者や弁護団、支援者が感じたであろう「なぜこれほど多くの問題点が看過され続けるのか?」という憤りは伝わらないのではないでしょうか。

無実が確定した折にはぜひ、冤罪としての袴田事件の全貌をとりあげる番組が制作されることを期待したいと思います。

「私のままで走りたい」

木曜日

-NHK Eテレ 2023年8月11日 「ドキュランドへようこそ 私のままで走りたい―性別を疑われた女性アスリートたち―」

スポーツにおける「性別」というカテゴリーがはらむ問題をとりあげたドキュメンタリー。原題は「カテゴリー:女性」。「女子スポーツ」というカテゴリーを守るため選手たちに「全裸での検査」や侵襲性のある医学的介入などの人権侵害を加えてきた(いる)歴史が語られる。

この番組はシス女性の健常者選手をとりあげているが、多くの視聴者は関連する2つの問題を直ちに想起するだろう。一つはマルクス・レーム選手のように一般カテゴリーで好成績をあげた障害者アスリート。レーム選手は彼の記録が「ハイテク義足」のおかげではないことを証明するよう要求された。もう一つはトランスジェンダー選手の処遇、実質的にはトランス女性アスリートの扱い、という問題だ。国や地域、競技種目によって実情はさまざまだが、トランスジェンダー差別において頻繁に言及される話題の一つとなっている。

番組が指摘するのは「女性/男性」というカテゴリー分けが決して自明のものではないこと、またスポーツにおける「女子/男子」というカテゴリー分けが必要十分な合理性をもつわけでもないこと、にもかかわらず「女子スポーツ」というカテゴリーを維持しようとすることが一部の選手たちの尊厳を犠牲にしていること、そうした犠牲がもっぱら有色人種の選手に押し付けられている(そして貧困ゆえに競技からの排除が一層大きな打撃になることがある)こと、「女子」というカテゴリーを守るために引き合いに出される「科学的根拠」の恣意性……などだ。

一部の競技では体重による階級分けが行われているが、身長によって階級を分けている競技はない。しかしバスケットボールやバレーボールにおいて高身長の選手が享受する有利さは、陸上競技において高テストストロンの女性選手が享受する有利さよりも明白だろう。身体的な卓越性は通常その選手の天分として祝福されるのに、それが「女性/男性」というカテゴリー分けを脅かす場合にのみ「チート」扱いされる。原題競技者の多くはハイテク技術を応用したスポーツ用具の恩恵を受けているが、それが「障害者/健常者」というカテゴリー分けを脅かす場合には懐疑の対象となる。スポーツにはさまざまな不公平が組み込まれているにもかかわらず、その一部だけが「問題化」しその他は看過されるというメタレベルの不公平があるわけだ。

ではカテゴリー分けを精緻化すれば問題が解決するのか、と言えばそう簡単ではないだろう。複数の基準に従ってカテゴリーを細分化すれば各カテゴリーごとの選手層は薄くなる。多くの関心を集めるカテゴリーとそれ以外のカテゴリーの格差は大きなものになるかもしれない。となれば競技としての成立が難しくなることもあるだろう。

この点で示唆に富むインタビュー記事が『朝日新聞』に掲載された。

-朝日新聞デジタル「Think Gender」2023年7月4日 「激化するトランス女性へのバッシング スポーツ参加は「ずるい」のか」

スポーツ社会学者の岡田桂氏が指摘するのは、スポーツの価値がいまの社会で極めて大きい(さまざまなライフチャンスに繋がる)からこそ「ずるい」という声が出てくる、ということだ。このインタビューで問題にされているのはトランス女性競技者だが、同じことは障害者アスリートにもDSDとされる女性アスリートにも言えるだろう。(熱中症のリスクがもはや無視できないほどになってる「夏の甲子園」を変えられない理由にも通じるところがあるだろう。)

もちろん、人為的にスポーツが持つ価値を切り下げることが現実的な解決策というわけでもないだろう。しかし「スポーツに秀でていることが高い価値を持つ社会」というのが決して必然的な人間社会のあり方ではない、ということは頭に入れておく必要があるだろう。つまり私たちがスポーツを通じてライフチャンスを掴んだり楽しんだりする代償として、少数者の尊厳を毀損することは許されるのか? という問いを私達は逃れることができない、ということだ。

拷問を告発した刑事の妻へのインタビュー

日曜日

少し前に読んだ小説『蚕の王』が題材としていた二俣事件。“拷問王”紅林警部らによる自白の強要を告発した警察官のことも描かれていたが、その妻がまだ存命で秦融氏によるインタビューに答えた記事が公開された。秦融氏は「湖東記念病院事件」を取材した中日新聞の取材チームの一員(中日新聞はすでに退社)。ウェッブの連載「供述弱者を知る」や風媒社刊の『冤罪をほどく “供述弱者”とは誰か」にその経緯は詳しい。

news.yahoo.co.jp

今年の1月から『静岡新聞』が「最後の砦 刑事司法と再審」という連載の一環として二俣事件をとりあげています。その第3回でこの警察官、山崎兵八氏の告発とその後の苦難がとりあげられていました。

静岡県警が自らの過ちを認め山崎兵八氏の名誉を回復するのはいつになるのだろうか。

事件に政治的意味を付与しようとしているのは誰?

日曜日

安倍元首相が殺害されてから1年がすぎたということで事件を振り返る記事や番組がいくつか出ています。そのうちNHK総合で放送されている「かんさい熱視線」の「銃撃事件1年 暴力の連鎖を生まないために」に気になるところがありました。

www.nhk.jp

番組のなかほどで歴史学者筒井清忠氏が登場します。朝日平吾が財界人の安田善次郎を殺害した1921年の事件を引き合いに出し、事件に対する社会の反応が同年の原敬暗殺事件を誘発したという見解を述べます。

かんさい熱視線」2023年7月14日放送

かんさい熱視線」2023年7月14日放送

しかし朝日平吾の犯行がいわゆる「公憤」によるものと理解されそれが称賛を産んだのに対し、山上容疑者は犯行動機が「私怨」であることを明確にしています。この違いは無視できないはずです。個人的な動機に基づく犯行でも、犯行に至る経緯によっては被疑者・被告人に同情や共感が向けられることはありますが、それは政治的テロの称揚とは同一視できません。

ところがこの番組の前半では、NHKの奈良放送局が山上容疑者に手紙で送った質問のうち山上被疑者が「反応を示した」質問が「旧統一教会への恨みの他に社会に対する様々な思いがあったのか」というものだったことが紹介されます。

かんさい熱視線」2023年7月14日放送

個人的な怨恨を動機として供述しているのに、わざわざそれ以外の動機がなかったのかを聞き出そうとしているわけです。これに対して山上容疑者は「事件の動機に旧統一教会以外の要因があるとの見方を残念に思っている」と語っていることが明らかにされます。

かんさい熱視線」2023年7月14日放送

山上容疑者が個人的怨恨を明言し政治的テロでないことをはっきりさせようとしているのに、マスメディアの方が事件の政治的な意味を発見しようと躍起になっているわけです。

事件後まもなく明らかになったように、山上容疑者は政治的な発言もたびたび行うネトウヨでしたから、現在の社会について思うところならいろいろあったはずです。もしNHKの誘い水にひかれてなにかしら口にすれば、それが事件の政治的動機として解釈されてしまった危険性はあります。その場合にこそ「暴力の連鎖」が起きかねないのではないでしょうか?

これは刑事被告人の防御権という観点からも問題です。判決が確定する前に被告人が事件の動機について語ることは量刑に影響する可能性があります。メディアの誘いに乗って「政治的動機」と受け取られるようなことを喋ってしまった結果として判決の量刑が重くなったら、誰が責任を取ってくれるのでしょうか? 他方、被告人によってはその点を意識して言動をコントロールしている可能性もあり、山上被疑者の発言にしても鵜呑みにすることはできません。どちらの可能性を考えても、判決が確定するまでは被告人の供述に裁判の証拠以上の意味を与えることには慎重でなければなりません。事件の背景を掘り下げるためにメディアが力を発揮すべきなのは判決確定後であるべきでしょう(もちろん、被告人が無罪を主張している場合はまた別です)。

しかしそのためにはメディアが時間とともに事件への関心を失ってしまわないことが必要です。近年刑事裁判にかかる時間は短くなっているとはいえ、仮に最高裁まで争うとなればやはり何年もの時間がかかるからです。数年間待つことができずに性急に事件の意味を語ろうとするメディアの姿勢こそが「暴力の連鎖」を招く恐れはないのか? 筒井氏からは安田善次郎殺害が原敬暗殺へとつながる過程でのメディア(新聞)の役割について詳しい話を聞くべきだったのではないでしょうか?