事件に政治的意味を付与しようとしているのは誰?
安倍元首相が殺害されてから1年がすぎたということで事件を振り返る記事や番組がいくつか出ています。そのうちNHK総合で放送されている「かんさい熱視線」の「銃撃事件1年 暴力の連鎖を生まないために」に気になるところがありました。
番組のなかほどで歴史学者の筒井清忠氏が登場します。朝日平吾が財界人の安田善次郎を殺害した1921年の事件を引き合いに出し、事件に対する社会の反応が同年の原敬暗殺事件を誘発したという見解を述べます。
しかし朝日平吾の犯行がいわゆる「公憤」によるものと理解されそれが称賛を産んだのに対し、山上容疑者は犯行動機が「私怨」であることを明確にしています。この違いは無視できないはずです。個人的な動機に基づく犯行でも、犯行に至る経緯によっては被疑者・被告人に同情や共感が向けられることはありますが、それは政治的テロの称揚とは同一視できません。
ところがこの番組の前半では、NHKの奈良放送局が山上容疑者に手紙で送った質問のうち山上被疑者が「反応を示した」質問が「旧統一教会への恨みの他に社会に対する様々な思いがあったのか」というものだったことが紹介されます。
個人的な怨恨を動機として供述しているのに、わざわざそれ以外の動機がなかったのかを聞き出そうとしているわけです。これに対して山上容疑者は「事件の動機に旧統一教会以外の要因があるとの見方を残念に思っている」と語っていることが明らかにされます。
山上容疑者が個人的怨恨を明言し政治的テロでないことをはっきりさせようとしているのに、マスメディアの方が事件の政治的な意味を発見しようと躍起になっているわけです。
事件後まもなく明らかになったように、山上容疑者は政治的な発言もたびたび行うネトウヨでしたから、現在の社会について思うところならいろいろあったはずです。もしNHKの誘い水にひかれてなにかしら口にすれば、それが事件の政治的動機として解釈されてしまった危険性はあります。その場合にこそ「暴力の連鎖」が起きかねないのではないでしょうか?
これは刑事被告人の防御権という観点からも問題です。判決が確定する前に被告人が事件の動機について語ることは量刑に影響する可能性があります。メディアの誘いに乗って「政治的動機」と受け取られるようなことを喋ってしまった結果として判決の量刑が重くなったら、誰が責任を取ってくれるのでしょうか? 他方、被告人によってはその点を意識して言動をコントロールしている可能性もあり、山上被疑者の発言にしても鵜呑みにすることはできません。どちらの可能性を考えても、判決が確定するまでは被告人の供述に裁判の証拠以上の意味を与えることには慎重でなければなりません。事件の背景を掘り下げるためにメディアが力を発揮すべきなのは判決確定後であるべきでしょう(もちろん、被告人が無罪を主張している場合はまた別です)。
しかしそのためにはメディアが時間とともに事件への関心を失ってしまわないことが必要です。近年刑事裁判にかかる時間は短くなっているとはいえ、仮に最高裁まで争うとなればやはり何年もの時間がかかるからです。数年間待つことができずに性急に事件の意味を語ろうとするメディアの姿勢こそが「暴力の連鎖」を招く恐れはないのか? 筒井氏からは安田善次郎殺害が原敬暗殺へとつながる過程でのメディア(新聞)の役割について詳しい話を聞くべきだったのではないでしょうか?