旧態依然の聴取は犯罪への加担


(自白が争点となった裁判ではありませんが、捜査段階の供述の信用性が争われた事件なので「自白の研究」タグを用いています。)

 女児への強制わいせつ罪に問われた元小学校教諭に東京地裁が昨年12月、被害女児の供述に誘導の可能性があるとして無罪を言い渡していたことが分かった。判決は幼い被害者の供述を「録音・録画して信用性を担保する方法がある」と可視化の活用に言及した。京都でも今年6月に同じ理由で元小学校講師が無罪となった。検察は未成年被害者の聴取を可視化する方針を打ち出したが、こうした判決が背景にあるとみられる。

なにぶん性犯罪に関して日本の裁判官が下す判断は(公安事件の場合と同様)容易には信用できません。したがって、具体的根拠のない一般論として言えば、真犯人に対して無罪判決が2つも下ったということなのかもしれません。だとしても、京都の事件で「被害日時を特定する女児の供述が、保護者らの誘導でもたらされたのは明らか」とまで断言していることは軽視はできません。「性犯罪容疑」「聴取対象者が子ども」と、聴取にあたっては人権面のみならず記憶心理学的にも注意すべきことが明らかなケースなのですから、捜査に瑕疵があったといわれても仕方ないでしょう。もちろん、裁判所の判断が正しかったのであれば、記憶心理学の知見を軽視した捜査によって無実の人が汚名をかぶることになった可能性もあるわけです。

 法制審特別部会の最終案では、性犯罪で逮捕された容疑者の取り調べも録音・録画(可視化)の対象となった。警察庁幹部は「容疑者の供述が法廷で明らかになれば、被害女性のプライバシーが著しく侵害され、二重の苦痛を招く。何より、被害の届け出をためらう女性が出てくるのでは」と懸念している。

一見すると被害者に配慮しているようですが、奇妙な話です。別に取調べを可視化しなくても「容疑者の供述」は法廷では立証に必要な範囲で明らかにされるわけです。たしかに供述調書が証拠採用される場合と比べ、取調べの様子を記録した動画が法廷で公開されればその「生々しさ」が被害者にとって苦痛となることは考えられます。しかし取調べが適正に行われ、供述の任意性が裁判の争点にならなければ、記録した動画を法廷で明らかにする必要もないわけです。可視化の範囲を限定して旧態依然の取調べ方法を温存させる口実にさせてはならないでしょう。