松橋事件に再審無罪判決、ほか

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金曜日

-朝日新聞DIGITAL 2019年3月28日 松橋事件再審、殺人罪に無罪判決 熊本地裁

再審開始を支持する最高裁の決定が下った時点で予想されていた通り、無罪判決が下りました。以前にも書いたことですが、再審の場で有罪主張すら放棄した検察が最高裁に特別抗告してまで再審開始を阻止しようとしたことは厳しく批判されねばならないでしょう。

 

-NHK NEWS WEB 2019年3月27日 「仮想通貨獲得のプログラム「ウイルスではない」と 無罪判決」

こちらは自白事件ではなく、むしろ被告人が当初から強く無罪を主張していた事件ですが、やはり無罪判決が出ています。弁護側の「同じ技術はネット広告や警察のホームページなどにも広く使われていてウイルスではない」といった主張を踏まえると、誤った見込み捜査に基づく起訴ではなかったかどうかが問われそうです。

 

この2つともSNSでは冤罪やハイテク犯罪に関心のある人々が話題にしていますが、私の観測範囲ではこれらとは別の無罪判決の方がはるかに大きな話題になっています。そう、最近立て続けに3つ下った、性暴力事件での無罪判決です。多くは無罪判決に批判的な反応です。司法のジェンダー・バイアスはとりわけ性犯罪については長らく指摘されたところで、近年最高裁も対策の必要性を認めるようになっていたところです。その観点からは3つの無罪判決に疑義を持つひとが現れるのは無理のないところです。

他方、おそらくは「こんな事件でも無罪になるのか!」という経験の何倍も「こんな事件でも有罪になるのか!」という経験をしてきたであろう弁護士アカウントの中には、日本における無罪判決の重みを強調し、安易な判決批判をたしなめる論調も少なからず見かけました。高すぎる有罪率、人質司法、自白偏重捜査、見込み捜査……など、これまた長年指摘されてきた日本の司法の問題点を、性犯罪の捜査・裁判だけが免れていると考える理由はたしかにありません。この点を踏まえるとき、無罪判決批判の中に“判決文を読まない批判”どころか“さして長くない報道すら誤読した批判”が混じっていることについては、やはり問題だと言わざるを得ません。たとえばこういう例。

 記事を普通に読めば、判決はまさに「暴力的な行為に馴れていない人がいきなり暴行されたら、パニクる」ことを踏まえ、「女性が抵抗できなかった主な理由は、女性の「頭が真っ白になった」などとする供述などから「精神的な理由によるもの」と指摘」しているわけです。この点ではひょっとするとかつての同様の事件における判断(「顕著な抵抗がなかった」→「抵抗する意思がなかった」)よりも、被害者の心理に即した判断になっている可能性が高いわけです。無罪判決につながったのはあくまで被告人の認識についての事実認定です。

また、実態以上に“なんでもかんでも無罪”であるかのような認識が広まってしまうと、かえって被害者の泣き寝入りを助長しかねない、という指摘も見かけました。これもまた傾聴に値すると思います。