『冤罪と裁判』

同業者から「冤罪マニア」と言われたりもしたという弁護氏による、冤罪の入門書。エントリのタグは「自白の研究」を用いているが論点はもちろん虚偽自白(第1章で扱われている)だけではなく、「目撃者の証言」(第2章)、「偽証」(第3章)、「物証と科学鑑定」(第4章)、「情況証拠」(第5章)などと多岐にわたる。最近冤罪に関心をもつようになったのでなにか一冊……と考えておられる方にはおすすめ。被疑者の「社会的抹殺」とも言うべき事態に至った例(第1章〈ケース2〉)、警察の組織的な偽証による冤罪(第3章〈ケース6〉)などは、冤罪の恐ろしさを非常にわかりやすく例示している。
本書の特徴の一つは、第二部(6章〜9章)において、裁判員制度を冤罪という観点から考察している点。「私が予想した以上に、国民の司法参加が人権保障機能をはたしたと思われる実例もいくつか重ねられている」(239ページ)として裁判員制度の「功」を認める一方で、裁判員に負担をかけさせまいとする制度設計や運用、なかなか変わらない捜査のあり方などに警鐘を鳴らしている。
なお、昨年末にツイッター上で間接的に言及した事件も本書でとりあげられている(100〜102ページ)。一、二審で有罪となり最高裁で無罪となったケース(強姦事件)である。言及した(正確に言えばきちんと言及すべきかどうか悩んでいる旨をツイートした)のは、この判決について「被害者の落ち度」をあげつらって無罪にした、という趣旨のツイートが非常に多数のリツイートを呼んでいたからである。実際に判決を読めば最高裁は被害者の主張する事実を認定しなかったのであって、(被害者の主張する事実を前提として)落ち度を無罪の理由にしたわけではないことがわかる。冤罪被害者の権利擁護と犯罪被害者の権利擁護とを二律背反であるかのようにみせる語り方を私たちは厳に慎むべきであるが、「判決を正確に読む」というのは誤った二律背反を招き寄せないために必要なことの一つだろう。