クロ現「“密室”は開かれるのか」
NHK 総合、「クローズアップ現代」の7月4日放送回、「“密室”は開かれるのか
〜検証・取り調べの可視化〜」を録画しておいたのをみた。番組のフルテクストが読めるようになっているので、見逃された方はご参照ください。
これといって新しい知見はない。部分的な可視化では無意味であるということ、検察にある反対論にまるで説得力がないことを再確認した。検事総長の「この事件だったら、この被疑者だったらっていうことを、よく勘案したうえで、ベストと思われる録音・録画を、捜査側の裁量でやる」などというのはとんでもないはなしだ。録音・録画の開始に先立って供述を「リハーサル」されたという事例について、「たぶんそれは録音・録画の初期だった」「検事も録音・録画なんていうことを一回もやったことがない」「どうしたらいいんだろう、たぶん、検事も緊張して困ったんだと思う」などと稚拙な*1いいわけをする人間をトップに戴く機関の「裁量」なんぞに任せていたら、ろくなことにならないのは自明だ。被疑者が弁護士を通じて録音・録画の停止を申し立てたとき*2には停止できる、という制度にするのがスジだろう。
それにしても……09年の総選挙後に、新政権に期待した数少ない事柄の一つが「取調べの可視化」だったのだが、それも結局は政治的な決断によってではなく、検察の不祥事によって実現への道筋がついたに過ぎない。ほとぼりが冷めたら「やはり弊害の方が大きい」などと総括して旧態に復したりしないだろうな。