事件報道における被疑者の供述には眉唾でのぞむべきことについて


今年の4月にこんな番組が放映されていたことを今頃になって知りました。

今、国の法制審議会で戦後初めてとなる「取り調べの改革」が議論されている。「全てを録音録画すべき」とする弁護士側と、「可視化の範囲は捜査官の裁量とすべき」とする捜査機関側の対立。背景には、やっていないことを「やった」と言わされたり、自分が話したことと違う内容で調書が作られたりする、『虚偽自白』が相次いでいる問題がある。なぜ嘘の自白をさせられてしまうのか。取調室の中で何が起きているのか。深層に迫る。

具体的にとりあげられた事例について、次のような紹介があります。

4年前大阪で弟が兄を何度も殴打し、兄が無意識のうちに弟を絞殺してしまうという事件が起きた。専門家の新庄健二弁護士は「普通は正当防衛になる」と話したが、検察官の調書は兄が意識的に弟を絞殺したという内容で書かれていた。
この調書が取られたときの取り調べの様子が撮影された映像には、兄が「客観的事実としては間違っていない」と、調書の修正点を指摘しなかった様子が記録されていたが、兄が警察に「"結果的に"そうなってしまった」と伝えていたことも記録されていた。この事件を担当した佐田元眞己弁護士は、取り調べへの弁護士の立会いが必要だとしている。
(http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/173535/index.html)

罪を軽くするためにいろいろと嘘の弁解をする被疑者がいることは事実でしょうし、そうした弁解を鵜呑みにしてしまったのでは正義に反する結果になりますから、取調官が「なるべく重い罪になるような供述をとるべく努力する」ことには一定の合理性はあるでしょう。しかし、客観的な証拠に反する弁解を突き崩そうとする場合ならともかく、被疑者の供述次第というケースで無根拠かつ執拗な追及をおこなえば、このケースと同じように自白が誘導されてしまう恐れは少なくないでしょう。被疑者が「結果」については一定の責任を感じている場合、また供述の細かな違いがもつ法的な意味をよく承知していない場合にはなおさらです(弁護士の立ち会いが特に効果を発揮するのはそういうケースでしょう)。警察や検察からのリークに基づく事件報道に対して私たちが懐疑的であることが必要なのは、「やった、やらない」が争われている事件だけではありません。