「明日よりは……」

ロッキード事件丸紅ルートのI*1被告(元丸紅・取締役)について。I被告は被告人質問で5億円の授受は認めたものの、賄賂性については否認したため、検察側が証拠申請した検面調書の信用性をめぐり、Iを取調べた松尾邦弘検事が証言台に立った。第102回公判でのやりとり。

ここで弁護人は「最後に」と断って、八月三十日のI保釈の日の状況を聞く。
弁護人「(Iと)あいさつをしたということですが、その時間は何分ぐらいですか」
証人「長くはありませんでしたが、Iさんは名残惜しいということで、前の日に作ったといううた(和歌)を一首くれて、いろいろ話し、お元気でと別れました」
 わざわざIが贈ったというのはどんな和歌なのか興味の持たれるところだが、弁護人はそれには触れず、さっと質問を変えて――
東京新聞特別報道部編、『裁かれる首相の犯罪 ロッキード法廷全記録 第8集』、東京新聞出版局、252ページ。原文の実名をイニシャルに変更した。以下同じ。)

その和歌の内容は後に明らかになる。第105回公判での検察側の再主尋問の締めくくり。

 チラリと法廷の時計を見た土屋検事が「Iさんを保釈するとき、和歌を一首もらったそうですが」というと、証人は「ございました。六十日間の惜別の夜と題しまして」と断り、「明日よりは 成るにまかせて 行く末の 宿命(さだめ)を負わん 君を恃(たの)みて」の和歌を披露する。Iは渋い顔。
(『裁かれる首相の犯罪 ロッキード法廷全記録 第8集』、308ページ。原文のルビを( )内に表記した。強調は引用者。)

「六十日間」となっているのは当初議員証言法で逮捕された後、再逮捕されているから。この和歌が保釈当時の率直な心境だったのか、検事への迎合だったのかという問題は残るが、もし前者だとすると「君を恃みて」というあたりに取調べの心理的圧力――当初敵対関係にあった取調官を“恃む”心境にさせるほどの――がよく現われていると言えるし、後者だとしてもエリートビジネスマンにこれほどのことを言わせる取調べとはどのようなものか、考える材料になるだろう。I被告は被告人質問で次のように証言している。

弁護人「あなたは、松尾検事から最後に、あなたの弁護人をやってあげたいといわれたそうですが、それは本当ですか」
I「はい」
「あなたの弁護人がやれると本当に思っていたのでしょうかね。からかいではありませんか」
「松尾検事さんのあの時の顔は、いいかげんなものではありませんでした」
「あなたは、拘置所の所長に手紙を書いたとのことですが、それはいつごろですか」
「保釈になる前でした。手紙を出すと、松尾検事さんが助かるのだと想像いたしました」
「手紙を出すと検事が助かる、とはどういうことですか」
「いい顔ができるというか、好ましい感じになるとか……」
「どんな内容で書けといわれたのですか」
「あんまりおっしゃらなかったのですが、お世話になったと……」
「あなたがけとばされたことを書いたら、検事は助からなかったのではありませんか」
「私も常識的に考えて、そんなことは書きませんでした」
(『裁かれる首相の犯罪 ロッキード法廷全記録 第8集』、214ページ。)

ここには検事への迎合も感じられるが、「検事さんのあの時の顔は、いいかげんなものではありませんでした」というあたりには“取調官と被疑者の人間的な関係”をうかがわせるものがある。なお、弁護人の狙いと被告人の証言とがうまくかみ合っていないように思える箇所があるのは、質問しているのが田中側の弁護人だから。田中が5億円の受け取り自体を否認していたのに対し、Iは5億円の授受を認めている。調書のすべてが検事のでっち上げであると主張したい田中に対して、Iはすべてがでっち上げであるとされては困る(丸紅が5億円を着服したということにされかねない)、という利害の対立があるのである。
「けとばされた」というのは取調べ状況に関して検察側・弁護側の主張が別れた点の一つで、「国賊人非人、ゴキブリ、売国奴、冷血漢」などと罵倒された、いすを蹴飛ばされて尻餅をついた、看守がIにお茶を出そうとしたら「こんな男にお茶を出す必要はない」と言われた……というのがI側の主張。これに対して松尾検事は「国賊売国奴」については新聞の投書欄などで目にしたことばとして「こういうふうに言われているが、良心に恥じないのですか」とは言ったとし、またお茶の一件はなかった、いすについてはIが立ち上がろうとしたときにいすが邪魔になると思いいすを足で押した、そうしたらIがよろけたので支えただけだ、と反論。「証人がイスをけとばしたことはありませんか」「ありません。足で押したのです」というやりとりの後には「傍聴席から軽い失笑」が起きたというが(『裁かれる首相の犯罪 第8集』、224ページ)、立花隆も「見えすいた弁明」と評している(『ロッキード裁判とその時代 (2)』、朝日文庫、399ページ)。他方、立花隆が「説得力があった」(同所)と評している証言もある。頑強に否認を続けたIが態度を軟化させた後のこと。

「三時過ぎでした。私が“Iさん、あなたは背負い切れない重荷を負っている。私にはそれがわかる。重い荷を下ろしなさい。私も手伝いましょう”と言いますとIさんは、涙を流しました。それから机に顔を伏せ、激しく泣きました。十分以上、泣いていました。私は気の済むまでそのままにしておきました。Iさんはやがて顔を上げ、涙を流しながら“申しわけありませんでした。偽証していたことは間違いありません”とはっきり事実を認めました」
(『裁かれる首相の犯罪 ロッキード法廷全記録 第8集』、227ページ。)

このケースではIの捜査段階での供述は別の丸紅側被告の法廷供述によっても、その他の証拠によってもおおむね裏付けられているので冤罪の可能性はないわけだが、仮にこれが冤罪事件の取調べ状況だとしたら先日別館でも改めて紹介した仁保事件の例のやりとりと同じような雰囲気を感じ取ることができるだろう。
(ちょっとはなしはそれるが、取調べの可視化に反対する論拠として“録画すると微妙なことを被疑者がしゃべらなくなる”というものがある。しかし検察というのは被告人が否認すれば“十分以上、激しく泣いた”とか“君を恃みて”なんて和歌を贈ったとか、そういう他人に知られたくないようなはなしをバンバン法廷に出してくるわけである。録画を拒む論拠を自ら掘り崩しているようなものだろう。)


また“根拠なき有罪の確信”に関連するやりとりとして、次のようなものがある。

弁護人「証人は、吉永副部長から“五億円がIを通じて政府高官に流れている”と指示されたときに、その根拠を聞かなかったのですか」
証人「聞いておりません」
「どうして聞かないのですか」
「Iさんを調べなさいといわれて、副部長に“何の証拠を持っているのですか”と聞くべきではありません」
「根拠も何もないのに間違いないと思うのですか」
「指揮官のいうことをあれこれ疑っていたら捜査にならんです」
(『裁かれる首相の犯罪 ロッキード法廷全記録 第8集』、241ページ。)

ここでの証言は、取調官が事件について事前情報を持っており、それに従って誘導した……という弁護側の主張を否定しようという意図を持っているので「根拠を聞かなかった」というのは鵜呑みにできない。それでも公然と「指揮官のいうことをあれこれ疑っていたら捜査にならんです」と証言した点は興味深い。

*1:これまでは実名で記述してきたのだが、今回は個人の内面に立ち入る内容になるので、イニシャルで表記する。