「足利事件・取調べ録音テープを聴く」


郵便不正事件・村木元局長の裁判は予想通り無罪。判決がどれくらい踏み込んで検察の捜査を批判するか気になるところだが、夕刊に間に合うかどうか。


『世界』の10年7月号、「特集 裁判員制度1年――司法は変わったか」の「足利事件・取調べ録音テープを聴く」(佐藤博史・木谷明・高木光太郎)。
テープによれば菅家さんは92年12月7日には(起訴された事件について)否認していたのに、翌8日には再び自白に転じている。まず佐藤弁護士が録音テープが記録した取り調べ(検察官によるもの)について、「むしろ穏やかな部類に属する」のが「実にショッキング」と問題提起。続いて木谷氏が次のようにコメント。

木谷 確かに、テープを聴くと、一見大変穏やかな、ふつう我々が考えているようなきつい取調べというものではありません。(……)それにしても、取調官は菅家さんの有罪を確信しているものですから、否認をするといろいろなことを言って問い詰めて、結局自白に追い込む。菅家さんが涙を流して「勘弁してください」というようなことを言うと、とうとう反省して悔悟の涙を流したと信じ込むわけでしょう。
 今回のテープで、有罪を確信している取調官がする取調べは、いくら言葉が穏やかであっても、最終的には虚偽の自白を誘発するおそれのあるものだということがよく分かりました。裁判官が自白の信用性を判断するときには、取調べの方法が荒々しかったかどうかということだけにとらわれてはいけないと痛感しました。
(160ページ)

高木氏がこの後コメントしているように、拷問や脅迫、利益誘導に寄らない虚偽自白があることは「理論的」には指摘されたことだが、テープはそのことをはっきりと裏付けている。
また、結局起訴されなかった別件について、テープと供述調書に重要な相違が見つかったという。

(……)たとえば万弥ちゃん事件について、警察官が「季節はいつだ」と訊くと、菅家さんは「冬の終わりか春」と答えています。実際は八月三日で真夏です。菅家さんの「無知」が暴露されているのに、警察官は、それに気付かないまま、「冬の終わりか春か。で、時刻は何時だ」と訊いている。そして、この季節の点は供述調書に何も書かれていません。
(160ページ)

供述調書の信用性が認められる際には「供述は具体的で迫真性に富み、何ら不自然不合理な点も存在しない」といった決まり文句が並べられるが、つじつまがあうように工夫して書いてあるのだから、それも当たり前。


高木氏は最高検警察庁の検証報告書が虚偽自白を見抜けなかった前提として菅家さんの「迎合しやすい性格」をあげたことを批判し、「取調べの問題構造」を分析するのを避けている、としている(164ページ)。ただし佐藤弁護士は、警察庁の検証報告書では「捜査官が期待する答えを繰り返し求めた」ことを反省点にあげているとして「変化のきざし」が見える、と語っている(同所)。8日のエントリでとりあげた東金事件とも関連する発言も。

 九九年に心理学者の方々とイギリスに行った時、ブル教授(レスター大学心理学科教授)に、甲山事件の知的障害のある園児の事情聴取で捜査官が同じ質問を繰り返したことを話すと、即座に「ナンセンス」と言われました。というのも、たとえば、ある日「今日は疲れているみたいだから、また明日にしよう」とやさしく言っても、「今日の答えは間違いだった」というメッセージとして伝わる。そこで、園児は、別の答えを必死に自分で考える。そうして、やがて正解に到達し、「うん、そうだね」と言われて、事情聴取が終わる。
 被疑者の場合も同じで、取調官が期待する答えを求めて「本当のことを話してくれ」と繰り返し求めることは、訊く側も、訊かれる側も、誘導とは思っていないのに、実は、強い誘導として作用している。自覚されない、恐るべき誘導がそこにあります。
(同所)

密室での取調べを正当化する「信頼関係構築論」についても、「今回の経験は、捜査当局が必要性を強調しているまさにそういう取調べ方法が被疑者の虚偽自白を生むことを明らかにしている」(木谷、166ページ)などとバッサリ。


第一審〜最高裁までの間で誰かが真相に気づくことができなかったのか? という問題に関連して、結局起訴されなかった別件での取調中、検察官が菅家さんに「君の自白はパターン化してないか?」と訊いている、というエピソードも紹介されている(167ページ〜)。「いつも女の子はしゃがんでいるよね」「女の子は、いつも黙って自転車の後部座席に乗り込み、人気のない場所に移動する間、ひと言もしゃべらない」など。さらには「被害者の女の子にもそれぞれ個性というものがあるだろう。想像で喋ってもらっては困る」という、あまりにも的確な検事の発言も記録されているとのこと。普通ならここで起訴した本件についても虚偽自白を疑う可能性はあったのだろうが、DNA鑑定の(理解不足に起因する)呪縛がそれだけ強かった、ということなのだろう。


この鼎談でもっとも重要と思われる指摘は、「ただ、逆に気になってくるのは、今回の検察官の取調べテープをふつうの人が聴くと、「これは真犯人が自白しているんじゃないの?」と思ってしまうある種の迫力もある点です」(高木、161ページ)というもの。佐藤弁護士も「取調べテープの存在がもっと前にわかっていたら、菅家さんの無罪の解明に役立ったでしょうか」と質問されたことがあるが、「必ずしもそうではない」と答えた、とのこと。今回の録音テープは結果的に「部分可視化」となっているわけで、捜査当局の主張する部分可視化がはらむ危険性も示していると言えよう。佐藤弁護士は取調べの可視化に関して「初期供述の重要性を強調しておきたい」としている。