「夢は刈られて 大潟村・モデル農村の40年」


戦後の食糧不足を補うために、1964年に誕生した秋田県大潟村。琵琶湖に次ぐ国内第2の巨大な湖だった八郎潟干拓して造ったモデル農村に、全国から580人が希望を胸に入植した。しかし、自由に米を作ることは許されなかった。当時、パン食の普及で米は余り、国は減反を強制。農民は「従わなければ田んぼを取り上げる」と脅された。坂本進一郎さん(69)は40年前から国に従って減反を続けてきたが、米の値段は下がり続け、今も数千万円の借金を抱えている。「国に従うべきだったのか…」坂本さんは、国に反発し、全てを失って村を追われたある農民に思いをはせていた…。農政に翻弄され続けてきた農民たち。秋田放送が40年間撮り続けた村の激動の記録を交え、この国の農業の未来を検証する。
(http://www.ntv.co.jp/document/)

減反させずに好き勝手に米を作らせていればそれはそれで当然米価の下落につながったであろうし、将来への見通しを欠いていたという点では政府(農林省)だけが責められるべきことでもないだろうが、そうはいっても国策に従って入植した人々への仕打ちとしては「満蒙開拓団とどれだけ違うのか?」という印象は否めない。
私は母親が漁師町の出身で自分自身も魚好きなので漁業問題については時折本も読みマスコミ報道にも注意を払っているが、それに比べれば農業問題への関心はおざなりといってよい。というわけで素人の根拠レスな思いつきにすぎないが、なんというか政府にも生産者にも消費者にもあった米へのオブセッションが戦後日本の農業にずいぶんと仇をなしたような気がする。米の消費量の低下についてはこの番組でも「アメリカによる小麦輸入の強要」が要因として指摘されていたが、いくら押し付けられたとしても口に合わなければ押し付けられた以上に需要が伸びるはずはない。健康面から言っても、米ばかり食べるよりは様々な穀物を食べる方がいいだろうし。子どもの頃に、戦中派の両親から麦やら雑穀やらを混ぜたご飯のまずさを聞かされたものだが、昨今は「健康のため」と称してわざわざ決して安くない「五穀米」だの「十穀米」だのを食べる人だっているご時世である。日本が豊かになるにつれて消費者が真っ先に「米へのオブセッション」から抜け出したのに対し、行政と生産者が対応できなかったんじゃないかなぁ。