なんで「殺す」ってことをそんなに気軽なものと思えるかな

toaruR 根拠不要の無謬こそ感情。今まさに犯人が、なんら罪のない被害者を殺そうとしているとして、貴方の手には被害者を救える銃がある。撃てばおそらく犯人は死ぬだろう。撃てば殺人。撃たずとも殺人。いざ。 2010/11/04
(http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20101104/p1)

id:toaruR は子どもを人質に取ったスコルピオを前にしたハリー・キャラハンの立場に立った時、なんのためらいもなく44マグナムを抜いてぶっ放せる、と自分では思ってるんだろうか?
ある米兵は若いヴェトコンの兵士を殺したときに、その財布から一枚の写真を抜き取った。20年以上たってから、その米兵はヴェトナム戦没者記念碑にその写真を供えた。次のようなメモを添えて。

 二二年間、私はこの写真を財布に入れて持ち歩いてきた。ベトナムのチュライのあの道であなたに出会ったとき、私はまだ一八歳だった。なぜあなたが私の命を奪わなかったのか、それがわかる日は来ないだろう。あなたは長いこと私をじっと見つめていた。AK47でこちらに狙いをつけていながら、ついに発砲しなかった。そんなあなたの命を奪った私を赦してほしい。ベトコンを殺せと訓練されてきて、その訓練のとおりに身体が動いてしまったのだ・・・・・・この年月、私は何度この写真を取り出したか知れない。あなたとあなたのお嬢さんの顔を見るたびに、苦しみと罪悪感で胸もはらわたも焼かれるようだった。いまは私にも娘がふたりいる・・・・・・あなたは祖国を守ろうと戦う勇敢な戦士だったのだと、いまなら私にもわかる。だがなによりも、あなたが奪うことをためらった生命の尊さを、いまの私は尊重できるようになった。たぶんだからこそ、今日ここに来ることができたのだろう・・・・・・目を前に向け、苦しみと罪悪感を解き放つべき時が来たのだ。どうか私を赦してください。
(デーヴ・グロスマン&ローレン・W・クリステンセン、『「戦争」の心理学』、二見書房、12-13ページ)