なんで好きこのんで分断統治されたがるかな
http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20090602/p1#c
id:rna さんがいったいなぜこんなことを考えたのか、正直はかりかねている。
仮にこれが「学問の自由」の問題で、南京事件の研究は禁止とかいう話があったとして、歴史学者が「自分の仕事とエロゲー規制なら正直自分の仕事の方が大事」って言ったら Apeman さんは「稼ぎが問題なら上海事変の研究、あるいは近代史以外の研究への助成などが例えば解決策たりうるわけです」なんて言わないでしょう?
「自分の仕事とエロゲー規制なら正直自分の仕事の方が大事」って、そんなことことさら言ったら批判されて当然じゃないかな(当人が「エロゲーは規制されて当然」と思ってるならまたはなしは違ってくるけど、そう思ってる人間ならこういう言い方はしないよね)。第一に、「自分の仕事」の大切さを言明するのに「エロゲー規制」への無関心(ないし関心の稀薄さ)を引き合いに出す必要は全くないし。第二に、「学問の自由」と「表現の自由」は日本国憲法ではそれぞれ別の条文によって保障されているとはいえ、浅からぬ関係をもっている。リアルポリティックスのはなしをするとしても、いま現在台湾統治についてのNHKのドキュメンタリーに対して右派の攻撃が行われていて、それこそNHKが日本の植民地支配を批判的に振り返ることが「禁止」されるといった可能性も全くの杞憂とは言えないわけだけれど、こうした動きとエロゲー規制のバックに同じ議員がいたりするわけだし。
そしてなにより、「学問の自由」とか「表現の自由」は別に学問や表現を「仕事」にしている人間だけの問題ではなく、アマチュアとして学問や表現行為をする人間の問題でもあり、読者・視聴者・プレーヤー等として学問や表現の成果を享受する人間の問題でもあり、さらに言えばすべての市民にとっての問題でもある。そこでことさら「自分の仕事」とか言われたら、それは私にとっては「あなたの仕事」であって、「あなたの仕事」の問題はそのままの形では私の問題足り得ない。もちろん、「あなたの仕事」の問題であってもそれに私が関心をもつべき理由がある部分については私もコミットメントを拒否しない。それが例えば「稼ぎ」の問題だ。しかし本来すべての市民の問題として考えるべき問題において、他人のコミットメントをことさらダシにしてまで「自分の仕事」を強調することは、存在しえたはずの共通性を廃棄して分断を持ちこむ以外に一体どんな意味があるわけ? 「我々は確かに、数も少ない、社会にも認められがたい」ってさぁ、そりゃkanonへのコミットメントを表明するためにことさら他人の尊厳を足蹴にし、言うことは「表現の自由」の一つ覚えで「表現の自由」が必然的に招く帰結について問題意識を持つことを拒否してたら、孤立するのも当然だわな。「表現の自由 「それからどうする?」という部分も強要は出来ないだろう」とか言うんだったらエロゲー規制に反対することも「強要はできない」ってことになるんで(国民には「憲法尊重擁護義務」は課されてないんだよね、id:tari-Gくんw)、「俺たちだけで戦うから、あんたらは手を出さなくていい」と言いたいわけ?