「ETV特集 なぜ希望は消えた?」
昨年の10月に放送された際、ながら見していたら思いのほか面白かったので録画しておかなかったのを後悔したETV特集「なぜ希望は消えた?〜あるコメ農家と霞が関の半世紀〜」が今年の9日に再放送されたので、今回はちゃんと録画して再見。
いま話題のTPPについては農業関係者、農水省、あるいは農業(食料問題)に関心のある人々の間から反対論が出ているのはご承知の通り(もちろん、農業への関心からTPPに賛成する人もいるが)。その当否について云々するための知見はもちあわせていないけれども、一つだけ確かなのは「たとえTPPに参加しなくても、このまま行けば日本の農業は立ち腐れ」ということだろう。はなしは逸れるが先日話題になった自称「一日の食費は300円で十分」なひとの主張に反してその金額ではディーセントな食生活を送るのが難しい理由の一つは、特に野菜の値段が高いからではないだろうか。
番組では「霞ヶ関」の目論見が戦後の「農地改革の成果を維持」したうえで農家の規模拡大を目指すというものだった、とされている。農家が都市労働者並みの所得を得られるような耕作規模を試算すると、農家の約半数が農地を手放して残りの約半数に集約させることが必要、と出た。農林省(当時)では一家でそろって都市へと移動する「挙家離農」により集約が実現すると踏んだらしいが、実際には大規模な挙家離農は起こらなかった。農家の経営規模の拡大を目指した農業基本法が61年に成立したあとで農林大臣となった農村出身の河野一郎は「誰がこんな法律を作ったんだ」「こんな出来もしないことを」と言ったとのこと。農家の「土地」へのこだわりを軽視した青写真だった、と。
「農地改革の成果」は農地法の「耕作者主義」(耕作者自らが農地を所有するものとする)に具現されている。1991年から農業への新規参入を可能にする農地法改正が省内で検討されるが、農政課の猛反対で挫折する(09年に改正された時には、耕作放棄地が全体の1割に達しようとしていた)。その当時の農政課OBに取材しているのだが、「〔耕作者主義を緩めると〕都市の金持ちが、都市の金持ちや大企業が、資産の運用の一形態として農地を考えるだろう」「企業が農業をやればうまくいくと証明されたことがあるか?」「農地は工業のような論理では廻らない」「逆に聞きたい、こちらから。なんでそんなに企業を入れたがるの、って」等々と熱弁を振るっていた(最初に見た時に強い印象を受けたのもこの熱さだった)。もちろん、これを聞いて「こういう官僚の頑迷さが日本の農業をダメにしたんだ」と考える人も少なくないだろう(まあ私のブログの読者の方々の間ではそうでもないかもしれないが……)。私にしても、少なくとも「企業を排除すればうまくいくか? といえば現にうまくいってなかったじゃないか」とは反論してみたくなる。それでも農政官僚にとって、少なくとも主観的には、「農地改革の成果を維持」するという理念が使命として強く意識されていたらしい、というのはいろいろと考えさせられるはなしである。
上述したように農地法は09年に改正されたが、農地の売り手はあっても買い手はないのが現状だという。後継者のいない高齢者が「借りてくれ」と頼むかたちで規模拡大が実現している、と。番組に登場する、そうした農地を借りている農家にも後継者はいない。「高齢化が未来なき構造改善を推し進めている」と番組は締めくくられている。