承前

さて、東浩紀はなぜよりにもよって文庫版解説で*1こんなにもテキトーなことを書いてしまったのか。ひとことで言えば“(虚偽の)自白をしてから捜査当局が描き出そうとした菅家さん像”と“捜査線上に浮かぶ以前に「周囲」が認識していた菅家さん像”とをあまりにも無造作に一緒くたにしているからです。
警察は初動捜査で「前科・前歴・素行不良者」の洗い出しをやり、足利市の全世帯に市長名で情報提供を呼びかけるビラが配られ、事件発生後1ヶ月で現場から1キロ四方の3千戸の聞き込みを終了、約1万件の情報を収集しますが菅家さんが捜査線上に浮かぶことはありませんでした。警察が菅谷さんに目を付けたのは事件から半年経ってから、延べ2万6000人の捜査員を導入し、ローラー作戦を市内全域に拡げ*2、入手情報が3万件に達しようとし、県境を越えた隣接地域も含めた広域捜査になったころです。「周囲の視線」にとってそんなに「怪しく」見えたのであればもっと早期に捜査線上に浮かんでもよさそうなものです。
いったん容疑者としてマークすれば警察は犯人像と合致する特徴を見つけ出そうとします。あずまんも言及している離婚歴(およびその原因に関する情報)もその一つですが、しかしこれはDNA鑑定で警察が菅家さんを犯人と確信してからの詰めの捜査で収集した情報です。勤め先の園長から“幼児に接する態度が他の職員とは違う”という“手がかり”を入手した後になっても、本庁から別件逮捕を督促された現場は「奴は(幼女への)声かけどころか、交通違反もしてねえんだよ。別件はないって。じゃ、任意同行でいいからやれって言われて、こっちは自信ないから血液型だけじゃ無理ですって、もう喧嘩さあ・・・・・・」という状態だった、といいます(262頁)。そもそも園長にしても、「菅家さんにしても、それ以前にはそんなところは見受けられませんでした」「事件後の六月、七月、八月と過ぎるうちに、だんだんおかしな人だなという印象を持つようになったんです」と小林氏の取材に答えています。そして小林氏は、84年にやはり足利市で起きた幼女殺害事件の被害者も通園していた幼稚園の経営者としての立場が菅家さんについてのイメージを「変容させた」(241頁)のではないかと示唆しています。
あずまんはなんと「当初の半日こそ否認したものの、その後は屈託なく犯行を認め、控訴審でも自白には強要がないと証言している」ことまでを、「周囲の視線にとっていかに「怪しい」ものに見えたのか」という事情に数え上げてしまっています。「この全体像には、どこかぼくたちの日常の直感に触れるものがある」などと称して(強調引用者。「実感」じゃないのが不思議なくらい)。しかし(虚偽)自白をめぐる菅家さんの(虚偽自白や冤罪事件に特に関心のない人びとにとっては)理解しにくい(かも知れない)態度は基本的には公判が始まってから、裁判の関係者に知られるようになったことがらに過ぎません。「本書の後半を読み進めるにつれて、読者は(中略)〔菅家さんが無実であるという〕そんな「だれの目にも明らかな真実」が驚くほどたやすく偏見や予断により上書きされていくことを理解することになるだろう」(520頁)などという一節に対しては、「この解説を読み進めるに連れて、読者は、「だれの目にも明らかな本書の記述」が驚くほどたやすく解説者の偏見や予断により上書きされていくことを理解することになるだろう」と言いたくなります。
事件発生から半年も捜査線上に浮かばず、目を付けられてからも1年間警察は任意同行にすら踏み切れなかったわけです。それを「驚くほどたやすく偏見や予断により上書き」などとするのでは、警察上層部と市民からの強烈なプレッシャーに晒され藁をもつかむ思いで菅家さんに飛びついた現場の捜査官たちに対してもフェアではありませんし、もちろんのこと菅家さんの「周囲」にいた人々への不当な中傷でしょう。小林氏の記述からは、菅家さんの「怪しさ」が捜査をめぐる厳しい状況(および幼稚園経営者のおかれた状況)という文脈の中で構築されたものであることが分かる。これが本書を読んでの私の感想です。そうした事態への感性を欠くポモってなによ?

*1:以前に「東浩紀の渦状言論 はてな避難版」でも今回の解説を予感させる取り上げ方をしています。http://d.hatena.ne.jp/hazuma/20090604/1244089261

*2:ちなみにJR足利駅東武足利市駅を結ぶ田中橋を中心とした半径2キロ以内に被害者幼女が失踪し菅家さんも通っていたパチンコ屋、遺体発見場所、菅家さんの実家と借家、過去の勤め先の多くが収まるとのことです。つまり遺体の発見場所を中心にローラー作戦をやれば、それほど遅くない時期に菅家さんを知る人々に行き当たる、ということです。この注、追記。