足利事件の供述分析(1)

昨日取り上げた『足利事件 冤罪を証明した一冊のこの本』(小林篤、講談社文庫)の第9章「自白」では、弁護団の依頼により原聰・駿河台大学法学部教授らが作成した意見書*1、「殺人等被告事件被告人・菅家利和供述研究報告書」が援用され虚偽自白の背景が分析されている。このレポートそのものは一般には公開されていないと思われるが、ほぼ同内容の論文が公表されている。

なお小林本で「東京供述心理学研究会」とされている意見書作成グループは上記論文では「東京自白研究会」とされていた。また意見書で実名とされていた関係者がこの論文では匿名(イニシャル)で表記されている。
当ブログでこれまで紹介してきた浜田寿美男氏の供述分析はもっぱら捜査段階での供述調書を分析対象としている。著者たちは供述の心理学的分析が要請されるような事件では公判で否認に転じていることが多い以上、供述調書を資料とすることにはやむを得ない面があることを認めつつ、取調官の質問と被疑者の返答というやりとりが「一人称」の独白スタイルに編集されてしまう供述調書が資料として瑕のあるものであることを指摘する。これに対して足利事件の場合、菅家さんが第一審の一部の期間を除いて否認していないため、公開された場で菅家さんが犯行について語ったことが一問一答式で記録されたデータが存在しているわけである。そこで著者らは一審、控訴審での菅家さんの証言をその内容ではなく、「内容の語られ方」に注目して分析し、(1)オープン・クエスチョン*2による問いかけではコミュニケーションが不調に終わることが少なくなく、結果的に菅家さんがクローズド・クエスチョンに対応した返答をする場面が多いこと、(2)間違いなく記憶に基づいて語っている部分と犯行について語っている部分とでその語り方に有意な差があることを明らかにしている((1)は上記論文の(上)に、(2)は同じく(下)にほぼ対応している)。(1)は素人にも自白が誘導されたものである可能性を強く示唆する結論である、ということがわかるだろう。もっとも、小林氏も引用しているように、著者たちはそこから直ちに自白が誘導によるものだと即断してはならないとしているが。
他方、(2)は例えば捜査段階での自らの体験を語る際には「警察官が○○し、次に私が○○し、次に警察官が・・・」といった語り方が多用されるのに対し、犯行について語る際には被害者の行動がほとんど語られない、ということを意味する。そして(2)にあたる分析を行なっている(下)ではより踏み込んだ結論が導かれている。

4.3 結論
[確認された事実]
(1)体験記憶に基づく被告人の証言には、行為連鎖的想起という一貫した特性が見いだされた。
(2)被告人の犯行証言には、行為連鎖的想起に不可欠の要素である他の動作主(Mちゃん)が一貫して不在であった。


[上記事実についての結論]
 被告人が本件犯行についての体験記憶をもっていると仮定した場合、上記の文体上の不一致を自然な心理過程の帰結として説明することは、現時点で利用可能なデータ、その他を参照するかぎりにおいて困難である。
(「対話特性に基づく心理学的供述分析(下)」、141頁)

すなわち、与えられたデータに基づく暫定的な結論として、菅家さんの公判段階での“自白”は虚偽自白であると考えるのが妥当だ、というのである。


原教授らの足利事件に関する研究成果としては他に原聰、「供述分析 : 足利事件の場合」をネットで参照することができる。それによれば供述分析として「犯行現場の空間認知の欠如を問う『壁分析』を行なった」「犯行動機の背景とされた「代償性小児性愛」がSおよび周辺者のエピソード供述から構成されていく様を『物語分析』として明らかにしつつF精神鑑定への疑問を提示した」とある(F精神鑑定とは福島章上智大名教授(当時)による精神鑑定のこと)。ただしこれは学会発表のアブストラクトであるため分析の詳細は明らかではない。ところが、上で紹介した意見書および論文の共著者の一人が「壁分析」について自著で紹介しているので、次回はこれについて紹介することにする。

*1:控訴審での証拠申請には間に合わず、弁論要旨への参考資料として添付されたとのこと。

*2:「英語でたとえれば五W一H式で自由な応答を求める質問」(小林本、403頁)のこと。後出の「クローズド・クエスチョン」とはイエスまたはノーで答える、あるいは相手の挙げた選択肢から選んで答えるような質問のこと。