(一貫して自白のない事件ですが、冤罪および再審に関する情報全般を扱うためのタグとして「自白の研究」を用いています。)
-MBS 2021年7月1日 20年前の郵便局強盗事件 ナイジェリア人男性の再審請求を『認めず』 大阪高裁(アーカイブ)
本ブログでは以下でとりあげたことのある冤罪疑惑事件です。
Jアノンとしても知られる加藤「陰部論」清隆氏が意味不明なツイートをしていました。
遺族が「アクセルとブレーキを踏み間違えた可能性を当初は否定していなかったが、なぜ供述が変わったのか」に飯塚は「遺族の情に寄り添えば『刑が軽くなる』と説明を聞いたので」。なぜ完全否定が遺族の情に寄り添うことになるのか意味不明。遺族の質問にぬけぬけとこんな回答。人間のクズの中のクズ。
— 加藤清隆(文化人放送局MC) (@jda1BekUDve1ccx) 2021年6月22日
「遺族の情に寄り添えば」は、被告人の主張に従えば一種の虚偽自白の動機について述べたものであり、法廷での供述の動機じゃありません。捜査段階の供述を覆して否認に転じているのですから、現在では「遺族の情に寄り添」うことより無罪主張を優先させたということであり、「完全否定が遺族の情に寄り添うことになる」などという馬鹿げた主張は加藤氏の脳内にしかない陰部論もいいところです。
この事件、私も被告人の主張に説得力があると考えているわけではありませんが、「刑が軽くなる」と自白を持ちかけるのは取調官の常套手段ですから、捜査段階で踏み間違いの可能性を認めた理由についての説明としては頭から否定することも難しいでしょう。
裁判では遺族が被害者参加制度を利用して直接被告人に質問したと報じられていますが(例えばこちら)、否認事件で被害者参加制度を利用することの難しさを考えさせられました。
これに対し、松永さんはドライブレコーダーなど物証との矛盾を感じ「罪に、命に向き合ってほしいという遺族の思いすら叶っていない」と思った。飯塚被告の姿勢は今後も変わらないのではないか、とも感じ「絶望してしまった」。直後の記者会見では「アクセルペダルの目視は(時速)80キロで走っていたら1秒もない」と説明を疑問視。飯塚被告の追悼の言葉も「軽い言葉はいらない」と拒絶した。
制度がある以上遺族にはそれを利用する権利がありますが、否認事件なのですから、被告人は“反省”することはできないわけです。遺族にとって残念な結果にしかならないことは予想可能でした。遺族の言葉に打たれて被告人が“真実を語る”のが理想的な展開なのでしょうが、そういう心理的プレッシャーは(この事件はともかく一般論として)無実のひとに自白させてしまう可能性もあります。反省や謝罪のプロセスは有罪が確定してから始まるもの、という認識に立って被害者・被害者遺族支援のあり方を考える方がよいのではないでしょうか。
NHK総合の「ブレイブ 勇敢なる者」で2016年11月28日に放送された「えん罪弁護士」が2018年にNHK出版から書籍化された後、今年5月に新潮文庫に(解説:清水潔)。
今村弁護士のスタイルは「疑わしきは被告人の利益に」という原則の主張にとどまらず積極的に無罪の証明に挑むというもの。
「こと、冤罪事件に関しては、実は雑学がすごく重要なんです。言い換えれば、科学的知識。これが不可欠で、僕は独学で勉強しましたけど、全然、知識としては足りない。供述や物証の評価とか、心理学とか、ありとあらゆる科学分野の知識がもっと必要だし、何よりものの見方が科学的じゃないと行けないので」(184ページ、原文のルビを省略)
なるほど突破すべき問題点さえ明確になれば専門家の協力を仰ぐことも出来るが、その突破口は弁護人が見つけるしかないわけである。
「表現の不自由展・その後」へのバックラッシュに端を発したリコール署名偽造事件で、すでに逮捕されていた4人の被疑者が再逮捕されたとのことです。
組織的な犯行、しかも家族ぐるみでの……となれば「口裏あわせ」を防ぐための逮捕は必要性があったと言えるでしょうが、最初の逮捕時の記事(例えば https://archive.is/Bp5yz )と比較しても逮捕容疑の違いがよくわかりません。5月の東京新聞記事では「昨年10月下旬ごろ、県外でアルバイトを動員し、県知事リコールの署名を偽造したとされる」地方自治法違反容疑、6月8日の読売新聞記事では「昨年10月下旬、佐賀市内でアルバイトに指示し、有権者の氏名をリコール運動の署名簿に書き写させ、偽造」というやはり地方自治法容疑。まさか最初の逮捕では「県外」とボカしていた容疑を「佐賀市内」と特定することで再逮捕したのでしょうか? しかし署名偽造のためのバイトが佐賀市内で募集されていたことは最初の逮捕に先立って報道されていました(例えば これ )。勾留期間を引き伸ばすための再逮捕についてまるで無批判であることが日本のマスコミの事件報道の問題点であることは、この事件には限らないのですが。
講談社の元編集次長が妻を殺害したとして起訴されていた事件、高裁でも有罪になっていたというニュースを見落としておりました。
「元編集次長」と書きましたが、実は社は被告人を休職扱いにしており、「元社員」ではないのだそうです。
先日、被告人を支援する親族、友人たちの会が有罪判決についての疑問点を述べるとともに署名を募る note を公開しています。私個人はまだ詳しく検討することができていませんが、高裁判決が一審判決について「〔自殺の可能性の排除にあたり〕十分な検討を欠いており不合理」と指摘していることを考えると、少なくとも判決に無理がないかを検討してみる価値はありそうに思います。
ご存知の通り弁護側の主張は“そもそも殺人事件ではなかった”というものですが、その立証の要となる医学鑑定書の執筆者に対する証人尋問が6月9日に行われるとのことです。