否認事件の被害者参加制度

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火曜日

Jアノンとしても知られる加藤「陰部論」清隆氏が意味不明なツイートをしていました。

 「遺族の情に寄り添えば」は、被告人の主張に従えば一種の虚偽自白の動機について述べたものであり、法廷での供述の動機じゃありません。捜査段階の供述を覆して否認に転じているのですから、現在では「遺族の情に寄り添」うことより無罪主張を優先させたということであり、「完全否定が遺族の情に寄り添うことになる」などという馬鹿げた主張は加藤氏の脳内にしかない陰部論もいいところです。

この事件、私も被告人の主張に説得力があると考えているわけではありませんが、「刑が軽くなる」と自白を持ちかけるのは取調官の常套手段ですから、捜査段階で踏み間違いの可能性を認めた理由についての説明としては頭から否定することも難しいでしょう。

裁判では遺族が被害者参加制度を利用して直接被告人に質問したと報じられていますが(例えばこちら)、否認事件で被害者参加制度を利用することの難しさを考えさせられました。

 これに対し、松永さんはドライブレコーダーなど物証との矛盾を感じ「罪に、命に向き合ってほしいという遺族の思いすら叶っていない」と思った。飯塚被告の姿勢は今後も変わらないのではないか、とも感じ「絶望してしまった」。直後の記者会見では「アクセルペダルの目視は(時速)80キロで走っていたら1秒もない」と説明を疑問視。飯塚被告の追悼の言葉も「軽い言葉はいらない」と拒絶した。

制度がある以上遺族にはそれを利用する権利がありますが、否認事件なのですから、被告人は“反省”することはできないわけです。遺族にとって残念な結果にしかならないことは予想可能でした。遺族の言葉に打たれて被告人が“真実を語る”のが理想的な展開なのでしょうが、そういう心理的プレッシャーは(この事件はともかく一般論として)無実のひとに自白させてしまう可能性もあります。反省や謝罪のプロセスは有罪が確定してから始まるもの、という認識に立って被害者・被害者遺族支援のあり方を考える方がよいのではないでしょうか。