『永山則夫 封印された鑑定記録』

昨年10月に放送された ETV 特集「永山則夫 100時間の告白〜封印された精神鑑定の真実〜」の書籍版。今年の春に出版されていたのだが、ようやく読めた。
当然ながら番組には盛り込めなかった事柄が書き込まれており、番組をご覧になった方にもおすすめ。たとえば、永山の母が幼少時に樺太で親に“捨てられ”たことについては番組でも事件の重要な背景として紹介されていたが、本書によれば彼女は尼港事件の生存者の一人らしい、という*1。彼女は1919年頃にニコラエフスクに渡り、そこで二冬を過ごした後、日本軍の憲兵隊に助けられ、実母のところへ送られたという。石川医師に対してはこの2年間のことは一言も話していなかった。
本書を読んでいる途中で番組を見直したくなって録画したディスクを引っ張りだしたのだが、永山の肉声が流れるというテレビのアドバンテージを差し引いても、本書と照らし合わせると非常に上手く構成された番組であったことがわかる。未見の方は、再放送等の機会があれば是非。


裁判で証人として出廷した石川医師への反対尋問で検察がどう鑑定書を攻撃したか、といったことも本書では紹介されている。「調書裁判」の弊害が典型的に現れた裁判である、と評さざるを得ない。一審の裁判官だった人物が「もし永山さんが法廷で私たちの前で語ってくれていたら、どうなっていたか」と取材に対して答えていることが番組でも本書でも紹介されている。確かにこれには一理はあるけれども、犯行時未成年だった被告人への態度として、特に死刑判決を出そうという際の態度としては、あまりにも消極的すぎるのではないだろうか。この元裁判官は「結論先にありき」の判決だったことを率直に述べている(この点は評価すべき)けれども、死刑という結論を導くために証拠評価を操作するというのは計画的殺人とどう違うのだろうか?
刑事事件における、特に「動機」に関する検察の筋書きを安易に信用すべきでない、ということを改めて強く思った。

*1:『世界』2012年12月号の「封印された鑑定記録が問いかけたこと」ではすでにこの点が指摘されている。