「反省」の呪縛

 「予想外だった。まさかと思った」。袴田元被告を取り調べた80歳代の男性は27日夕、東京拘置所を歩いて出る袴田元被告のテレビの映像にくぎ付けになった。


 ぽろぽろと涙を流し、「すみません」と謝り自供した袴田元被告のことは、事件から約48年たった今でも鮮明に覚えている。「泣くのは後悔やざんげの気持ちがあればこそ。あの涙がうそだったとは思えない」

日本の警察、検察が取調べを「反省」の場と捉えていることの弊害については当ブログで何度かとりあげてきましたが、捜査ミスを率直に認めることを阻害するという問題点もある、ということですね。「冤罪」という仮定を採用すればこの「涙」は容易に「悔しさ」や「絶望」から来たものとして理解できるのに、「反省」至上主義がそうした想像力を抑圧してしまっているわけです。
それにしても、記者はズボンのサイズのことを元捜査官たちに追及しなかったんですかね? 再審請求過程での証拠開示で、警察はズボンのサイズが袴田さんには小さすぎることを把握していたことが明らかになったわけで、DNA鑑定を行なうまでもなく「捏造」は推定できるのに。