自分は読まないくせに「読んでから批判しろ」と言う人
昨日のエントリでちょこっと言及した人が、例によって猫パンチ的な「反論」をしています。
「批判が現れているようだが」というところにご注目ください。この人は、以前に南京事件を巡る発言を批判された際にも、「ぼくは最近、2ちゃんねるもはてなブックマークもなにも見ていません」と称して、批判に具体的に向き合うことを回避していました。その時にせよ今回にせよ本当に読んでいないのか、それとも強がって読んでないフリをしているのかは知りませんが、本人が「読んでない」と表明している以上読んでないものとして扱っても文句はないはずです。自分は批判者の見解を「一字も読んでいないのに」批判してよいが、お前らは「とりあえず条文を待ったらどうか」、だそうですよ。しかし批判している側は朝日新聞に掲載されたインタビューを読んでるわけで、どちらがより誠実であるかは自明というものでしょう。
ところで、くだんのインタビュー中に次のような一節がありました。
「いま人気を集めている強いリーダーは基本的に右翼です。左翼は批判しますが、強いリーダーが出てこないことこそが左翼の問題です。日本人がいま理念やビジョンを必要としているのは自明です。左翼はそれらを持っていたのに、いつの間にか単なる『突っ込み役』になってしまっている。それじゃあ負けますよ。保守的なナショナリストたちの理念そのものは理解できないところも多いですが、理念を出している。これが大事です。だから僕も、憲法改正試案というかたちで新しい国家像を提示するのです」
これについては hokusyu さんの次のツイートを提示すれば「反論終了」でしょう。
これにもう一つだけ付け加えるとするなら、そもそも「強いリーダー」なんてものを待望しないというのは今日の左翼の「理念」のコロラリーというものです。それだけじゃなく、真っ当な保守派だって「強いリーダー」待望がどんな事態を引き起こしたかを近現代史から学んでるんじゃないですか?