「ヘイトスピーチに反対する会」有志の公開質問状を支持する

原発現状維持派・推進派が好んで用いる揶揄に「原発が止まりさえすれば後はどうでもいいのか?」というものがあります。唾棄すべき揶揄ですが、しかしもちろん「原発が止まりさえすれば後はどうでもよいわけではない」ということ自体は正しい。別に原発に反対する者一人一人が具体的かつ詳細な脱原発の青写真など描けなければならないわけじゃありませんが、脱原発の道筋について「こうであってはならない」「こうでなくてはならない」という原則は持っていなければなりません。さもなくば「原発が止まりさえすれば後はどうでもいいのか?」を下らない揶揄として斥けることもできなくなってしまいますし、そもそも「なぜ原発にノーと言うのか?」という原点を見失ってしまうことになります。
したがって原発依存からの脱却を主張する者は、例えば核廃棄物の処理や原発労働者の雇用や医療支援といった問題について自らがどういう立場を取るのかを考えねばなりませんし、「奇形が生まれる」から原発に反対するといった主張を許容するのかどうかを考えねばなりません。そしてデモの主催者による壇上アピールの発言者の選択は、彼らが構想する脱原発の最大公約数的原則を反映しているものと考えるのが当然です。では、その登壇者の1人として当初予定されていた人物の発言の一つをご紹介しましょう。

天皇陛下の軍隊であった我が「皇軍」が、そんな恥さらしになる従軍慰安婦なるものを、公然と皇軍主導でやる訳はないではないか!
http://www.giyuugun.jp/sb/log/eid5.html

どこからどう見ても「慰安婦」問題否定論です*1。「公開質問状」は原発を「植民地主義的な支配」や労働市場において周辺化された労働者への「差別」の問題として捉えることを主張しています。そして、「慰安婦」問題はまずもって(戦時)性暴力の問題として捉えられてきましたしまたそうであって当然であるわけですが、同時に植民地からの収奪、周辺化された労働者(この場合主として貧しい家庭出身の、若い女性)の搾取、さらにはレイシズムエスノサントリズムという観点からも理解されるべき問題です*2。例えば仕事内容を偽った募集に応じた女性を慰安婦にしたケースが存在すること自体は殆どの歴史修正主義者ですら認めている(そして日本軍の責任は否認する)わけですが、大阪のあいりん地区で「宮城県で運転手」をするつもりで求人に応募した男性が福島第一原発敷地内での仕事をさせられていた件についての報道は記憶に新しいところです。「慰安婦」問題否認論者は「もともと売春婦だった慰安婦」の存在をよく持ち出しますが、戦前・戦中の娼婦にせよ現代の原発労働者にせよ、労働市場において周辺化された人びとの人権が侵害されているという構造は共通しています。
さて、とすれば問われているのは例えば*3こういうことです。慰安婦」問題否認論者を登壇者として選ぶ反原発デモは、原発労働者の雇用や健康に関して国や東電にきちんと責任を負わせるという原則を明確に打ち出すことができるか? それとも「うちの裏庭でさえなければ」という反原発運動にしてしまうつもりなのか? にもかかわらず、管見の限り、主催者及びその周辺から聞こえてくるのは「左翼が右翼を排除した」という問題の矮小化にすぎず、「公開質問状」の問いへのまともな回答ではありませんでした。さらには、歴史修正主義を容認するどころか積極的に加担するような発言まで「公開質問状」への批判者から飛び出す始末です。
http://twitter.com/#!/kureichi/status/80512644670435328
http://twitter.com/#!/kdxn/status/81041242112266240
http://twitter.com/#!/kdxn/status/81044357251211266
このような事態に鑑み、既にツイッター上で断片的に意思表示はしておりましたが、改めて本エントリによって上記「公開質問状」への支持を表明いたします。

*1:これに続く「そんな事は、日本研究をして来た彼の国の学者なら当たり前の如く分かる筈である」という一節は滑稽なまでに客観的現実と主観的願望とを混同していて、さすが皇軍精神の継承者だと思わせてくれますが、ここでの主題には関わりがないので深入りしません。

*2:例えばスマラン事件について軍中央が異例の介入をしたことは、「白馬事件」というその別称ともども当時の日本人の屈折した人種意識を伺わせます。また「慰安婦」の国籍やエスニシティーによる処遇の違いからは、日本人>植民地出身者>その他のアジア人という序列意識がはっきりと伺えます。

*3:他にも「侵略戦争を美化する者を登壇者として選ぶ反原発デモは、核廃棄物を途上国に押しつけないという原則を明確に打ち出すことができるか?」等々。