「中立性」について、など

http://twitter.com/hokusyu82/statuses/21934566629
hokusyu氏の言わんとすることに即しているかどうかはわからんけど。
リフレ政策は例えば再配分の強化とセットで採用することも再配分の否定とセットで採用することもできるって意味で(再配分に対して)中立である……。このような主張はそれ自体としては理解できるけれども、他方で、具体的な政治的文脈においては「リフレとともに再配分」を選択するか「再配分のはなしはおいといてまずはリフレ」を選択するかは否定しようもなく政治的選択だし、またどちらを選択するかによってリフレ政策はそれぞれ異なる政治的効果を発揮するわけであって、「中立」を強調することが後者の目くらましになってしまうことは警戒せざるを得ない、と。


あと、別館で書いたコメントの一部をこちらにも再掲。

それから、
http://d.hatena.ne.jp/rna/20100817/p2#c
でのやりとりに現われている問題もあります。クルーグマンスティグリッツ読めと説く人はいるけど、左派からみてクルーグマンスティグリッツが魅力的にみえる側面(具体的にはイラク戦争への批判的発言など)に関してはびっくりするほどシニカルなこと言い放つわけです。“なんでマクロ経済学者がそんなことやらなあかんねん”とか“インチキ戦争の戦費ったってんなもんフローなんだから、再配分にまわしてたとしても意味ないがな”みたいな。
しかし純粋にアカデミズムの中で活動している研究者ならともかく、発言を通じて政治に関わっている研究者の評価ってそんなものでしょうか? クルーグマンスティグリッツだって時代がかかった「知識人」の役割を引き受けるつもりこそないでしょうけど、しかし自らの学説がよってたつ世界観によればインチキな戦争は許し難いと思うからこそコミットするわけでしょう? 専門家ならいざ知らず、一般市民にとって経済学的理論はそれがどういう世界を実現してくれるのか? という点で意味をもつわけです。クルーグマンスティグリッツを左派向けの客寄せパンダとして使っておきながら「非実在大量破壊兵器? それがどうした」って、どんだけ二人をバカにしてるんだか。
(http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20100824/p1#c1282708946)