『猿の惑星:創世記(ジェネシス)』

当ブログの名前はティム・バートン版の『猿の惑星』中の台詞にインスパイアされたものなので、公開前から「これは観に行く義理があるだろう」と思っていた一作。邦題では「創世記」というサブタイトルがつけられているが、どうせ神話を参照するならむしろ『出エジプト記』であろう……とは、予告編を見るだけでも見当がつくところ。『出エジプト記』を題材とした映画『十戒』でモーセを演じたのはチャールトン・ヘストンである、という縁もある。もっとも、映画中に登場する企業の名前が Genesys であることを意識した副題なのかもしれない。


アルツハイマー病の治療薬がチンパンジーの知能を劇的に向上させた……という予告編を見た時には「一頭一頭注射したり錠剤飲ませたりするのか?」と思ったのだが、この点については納得のゆく設定になっていた。そのために別の突っ込みどころができてしまっていて、これは人によってはものすごく気になるかもしれない。また、類人猿たちのエクソダスが始まってからについていうと、絵的に派手だからといってお前らガラス割り過ぎだろ、というのはある。お前ら裸足じゃん、と。しかし中盤は監獄もの・脱獄もののフォーマットをきちんとふまえていて、この部分は文句なしに楽しめる。特にゴリラ兄貴の義理堅さは必見。


オリジナルの『猿の惑星』が制作された当時と現在とでは、類人猿に関する科学的知見の蓄積、およびそれに由来する人間の側の類人猿認識にはかなりの変化がある。以前にちょっとブコメでも書いたが、ニホンザルチンパンジーよりチンパンジー〜人間の方が近縁である――チンパンジーにとっても、人間はボノボに次いで近縁な種であるーーわけだから、野暮を言うなら『猿の惑星』という邦題も科学的には妥当とは言えないだろう。ちなみにこの映画の字幕監修として霊長類学者の松沢哲郎氏がクレジットされていたが、氏ならまさに「猿、って呼ぶな」と思ったかもしれない。本作でもこうした変化はそれなりに反映されている(とはいえ、やはりボノボは絵的にチンパンジーと区別しにくからか登場しない)のだが、それでもやはり物語上の都合で無視されている点はある。しょせんは娯楽映画なんだから見逃せるところも少なくないのだが、「手話を使う」という設定はせっかくだから徹底した方がよかったんじゃないのかなぁ、というのが個人的には残念なところ。