橋下を批判するならあの一点で十分


このところマスメディアにも橋下・大阪府知事への批判が見られるようになったが、そのなかにはかなり問題をはらんだ手法によるものがある。

後者に関して問題にしたいのは野田正彰の「大阪府知事は「病気」である」。未読であるが、まず間違いなくこちらで抗議の対象となっているような内容のものであろう。
自己愛性人格障害」や「演技性人格障害か非社会性人格障害」といった疾病概念の濫用それ自体がまずは問題であるが、同時に橋下の問題を「人格障害」の現れとして納得したいという欲望がこの社会の一部にある、ということも指摘する必要があるだろう。精神科医に橋下批判の原稿なり講演なりを依頼すれば、このような内容のものとなることはむしろ自然な成り行きというものだからだ。
しかし私たちは、橋下徹を決して政治家にしてはならないことを、ずっと以前から――そう、府知事になる以前から――はっきり知り得たはずである。光市母子殺害事件弁護団への懲戒請求を煽動した時から。基本的人権に関わる事柄についてのあのような発言を行なうことのできる人間が権力を握ればどのようになるかは、容易に想像可能だったはずである。だがこの社会は彼がテレビの人気者であり続けることを許し、府知事になることをも許したのである。「人格障害」うんぬんといった橋下批判は、この社会の人権感覚の鈍さを棚上げにしてあたかも問題が橋下の「障害」にあるかのような欺瞞であるという意味で、再びこの社会の残念な人権意識を明らかにしてしまったと言うべきであろう。