相変わらずの「可視化」反対論

ちょっと前のことになるが、12月8日の朝日新聞(大阪本社)オピニオン欄が「取調べ可視化」をとりあげていて、「脅し・利益誘導 根絶のため」(江添浩正氏)、「「一転して否認」減る効果も」(美奈川成章弁護士)、「真実追究の執念に水をさす」(久保正行・元警視庁捜査一課長)の3つが掲載されている。
久保氏の意見は「取調室は刑事とホシの戦いの場です」という言葉で始まっているが、取調室に連れてこられるのが「ホシ」とは限らないところに可視化要求の重要な根拠があることをどう思ってるのか?(もちろん、本ボシならどう取り調べようが勝手、というわけではないが)

 今は、立件に直接関係ない部分の「供述」は雑談とされ、書面の記録もない。暴力団事件で組員が自供すれば家族が報復されないよう調書を作らず立件することもある。全面可視化ですべてを録画し裁判に出すとすれば、大変なプライバシーの侵害になる。
 全面可視化しても管理すればいいという意見もあるが、一度録画されれば、いつか表に出るのではと不安は残る。

「いつか表に出るのでは」なんて「不安」を与えないような“人間関係”を構築すればいいんじゃないの? 録画してなくたって検察が「使える」と判断した供述は裁判に出されちゃうわけで、なにが「プライバシーの侵害」だか。録画されることが被疑者にとって不利であるような場面については、例えば弁護士立ち会いの下で録画を停止して供述させる、といったことだって可能だ。いずれも為にする議論に過ぎない。おそらく本音は次のような部分なのだろう。

(……)取調べに執念を燃やすのは、日本の警察の伝統のようなもので、職人技でもある。私は、可視化の導入によってこの良き伝統、真実追究の執念が、日本の警察からなくなるのが最も大きな損失だと思います。

ことが人権に関わる問題でなければ現場の士気を大切にという主張には耳を傾けますがね。そもそも「職人芸」に頼った捜査を今後も続けていけるのか? という問題があるんじゃないだろうか。しかし結びの言葉が「捜査の原点が取り調べにこそあるということを忘れてはなりません」って、「自白偏重捜査です」と自白しているようなものだな。取り調べより被疑者の特定の方が先なんだから、「取り調べが原点」ではおかしいだろ。