「やってねえわけねえんだ」

ウィキペディアの「免田事件」の項にある次の記述が前々から気になっていた。

無罪が確定されたにもかかわらず、その後の免田に対する批判が続いた。当時としてはけた違いの多額の補償金を何に使ったとか、出所後の行動(女性関係など)を週刊誌が報道したりした。立川談志はラジオ番組で「ぜったいやってないわけないんだよね」と話し、後に謝罪する。

同じくウィキペディアの「立川談志」の項にも似たような記述がある。「こいつなら言いかねんな」とは思ったものの、ちょこっとググった程度では信頼できるソース付きの情報が見当たらなかったので朝日新聞のデータベースをあたってみた。

 テレビ朝日の番組「プレステージ」に今月1日未明に出演した元参院議員の落語家立川談志さんが、再審無罪の確定した元死刑囚・免田栄さんについて、元法相から聞いたという形で「やってねえわけねえんだ」と発言したことに対して、「無実の人々を救おう! 連絡協議会」など11市民団体は22日までに、テレビ朝日に抗議文を出した。「発言は免田さんの名誉を棄損し、えん罪被害者の復権の努力をちょう笑するもの」としている。

1989年6月23日の朝日新聞夕刊より。免田さんは「すぐに日本弁護士連合会に人権救済の申し立てを出した」(91年6月29日朝日新聞朝刊、「傷跡 免田栄さん:5(それから) 」による)が、日弁連立川談志テレビ朝日にそれぞれ「警告」と「勧告」を行ったのは91年5月8日だった。ほぼ2年かかったことになる。
なお記事にある「元法相」が誰であるかはこの記事からは明確ではないが、まず考えられるのは免田さんに再審で無罪判決が下った1983年7月時点での法務大臣。「元法相から聞いた」というのが本当だとすればおそらくは「検察が法相に報告」→「法相が談志にリーク」→「談志が放言」という流れと思われるので。で、83年7月に法相だったのは秦野章。83年末の内閣改造で法相は替わっているが、7月の再審無罪から法相への報告が半年なかったというのはあまりありそうにはないことに思えるし、元警視総監の秦野なら検察の“曵かれ者の小唄”を真に受けて「やってないわけない」などと話したとしても不思議ではない。
もし談志に話をしたのが秦野章だとすると、これはもう当ブログとは因縁の黒い糸で結ばれていたとしか思えない。秦野と言えばロッキード事件で被告人の身となった田中角栄を擁護する発言を繰り返し、国会で検察を糾弾する質問までした(あげく赤っ恥をかいた)男である。そして田中派の支持を得て首相になった中曽根の「田中曽根内閣」で法相として入閣し、「いよいよ指揮権発動か?」と世間を騒がせた男でもある(秦野の法相就任は82年11月、ロッキード裁判丸紅ルートの一審判決は83年10月)。田中を外為法違反で逮捕したのは別件逮捕ではないのか? などと国会で質問した男が、再審で無罪となった人について「やってないわけない」などということを(たとえ私的な場であったとしても)話していたとすれば、ロッキード裁判批判論の水準も知れるというものである。
なお、立川談志は1978年末に沖縄開発庁政務次官に就任(三木内閣)するが、1ヶ月ちょっとで辞任している。もちろん、この男を政務次官にしたのは自民党であった。