ブラック社会に住んでるんだが、俺はもう限界かもしれない

自転車の鍵」の次は「単なる私権」ですってよ。合法的に往来してよい(現に男であればとがめられない)場所に行ったり好きな衣服を身に着ける自由というのは「単なる私権」なんだそうですよ。それでいてご本人は「基本的人権」のために戦っているつもりらしいからたまらない。まるで『刑事コロンボ』かなにかで犯人がアリバイを力説するうちにボロを出しちゃう場面を観てるようですよ。「自衛」論者(そのお先棒担いだりケツをもったりしている者も含む)たちがこの社会において女性*1が現に・既に強いられている「自衛」のための自己規制を如何に過小評価したうえで「でも、自衛するって悪いことじゃないと思うんだ」とお為ごかしに吹聴しているかがよ〜くわかる。単に「男は獣」論から帰結してしかるべきことのシミュレーションとしてのみ言及されているだけの「チンコ切れ」とか「檻」とかには「基本的人権の侵害だ!」とか「人権感覚を疑う!」とか吹き上がるのに(しかし、だったら“陵辱ゲーはフィクションです”なんて言い訳も通らんわな)、現に既に生じている「基本的人権」への抑圧は「自転車に鍵」とか「単なる私権」で「それで被害を回避できるんならけっこうなんじゃないの?」って、なんなんだよ、それ。とても21世紀の“西側先進諸国”の一つに生きてる気がしないよ。


ネットの「自衛しろ」論のほとんど全て*2は「役に立たない」というだけでもう要らない理由としては十分なんだけど、もうなにがなんでも「自衛」について語りたくてたまらない、「自衛」について語りたい自分を抑えられない、というほどに性暴力の防止に関心がある人はですね、最低限「犠牲者非難と結びつくおそれのない」文脈をきちんとつくってからやりなさい。現にある「自衛しろ」論がよくても犠牲者非難への共犯にしかならない理由は blackseptember さんが2行で説明している。

それを襲われてないときに言うんではなく、襲われた人が出たときに限ってそれを出汁にしてここぞとばかりに言ってるからバカにされるんだが・・・。

で、もちろん本当に性暴力の問題に関心のある人は、曾野綾子の一文なんぞとは無関係にコツコツと情報発信しとるわけですよ。けど、そんなことするつもりはないんだろ? 性暴力の被害者がどのように選ばれるか、なんてことについては既に研究・調査の蓄積があるわけだけど、それらを踏まえることもなく「自転車には鍵かけた方がよくね?」なんてこと書いてなにか(犠牲者非難に資する以外に)役に立つと思ってる? 自分は24時間デフコン1で生きてるつもりか?
「自転車に鍵」の人はなんか自分が大発見をしたつもりになってるらしい。

それでは『「犯罪被害をふせぐためにはXXXXを避けるべきだ、XXXしよう」という議論それ自体は成り立つが、程度を超えると極論になる』という前提をみんなで共有した上で、それは行き過ぎ、いや常識の範囲だという議論をしようじゃありませんか。夜道も服装も鍵も、セコムも防弾チョッキも含めて。


何を当たり前の、というなかれ。


けっこうみんな、上の太字部分をスルーしてたと思いますよ。それに議論の質がまるで違うのではなく、おそらくは「程度の水準」について合意がないという話なのですから。

とんでもない! 「議論の質」(というか前提)がまるで違うんだよ。

*1:他の事柄が問題になればもちろん女性以外の様々なマイノリティが様々な「自衛」を強いられているわけだが。

*2:全部読んだわけではもちろんないから、「全部」と言うのは控えておく。