松山事件の虚偽自白

同じく実家で読んだ毎日新聞10月11日(日)朝刊より。この日から「正義のかたち 重い選択 日米の現場から」と題する連載が始まっており、第1回のこの日は松山事件が取り上げられており、事件に関わった二人の裁判官が登場している。
一人は一審(仙台地裁古川支部)で1957年に死刑判決が下った際、左陪席裁判官だった萩原金美氏。被告人を取り調べた警察官への証人尋問で積極的に質問すると、閉廷後に裁判長から「刑事裁判は一を聞いて十を察する余韻があるべき。あんな尋問は裁判の品位を汚す」とたしなめられたという驚くべき体験を証言。もう一人は84年の再審で裁判長として無罪判決を言い渡した小島建彦氏。

 裁判の焦点の一つは、斎藤さん〔=松山事件の元被疑者・元被告人・元死刑囚。引用者注〕の「自白」だった。小島さんは時系列表をつくり、表の上段に供述内容、下段に捜査の進展状況を書き込んで検証した。捜査官が新たな情報を入手するたびに供述が変遷していく様子が手に取るように分かった。

小島裁判長(当時)が行なったのは、浜田寿美男氏が「誘導可能性分析」と呼んでいる作業であるということができる。他方で、こうも語っている。

 だが「もし自分が1審の裁判官だったら、無罪を言うのは難しかったかもしれない」とも語る。有力な物証とされた血痕の証拠価値を疑問視する証拠は当時なかった。「裁判官だってミスジャッジすることはあるんです」

この、掛け布団の襟あてについた血痕については、「県警が掛け布団を押収した後に血痕が付着した疑い」が出てきたこと、再審での無罪判決では警察での証拠捏造の可能性が指摘されたことが記事中で紹介されている。