袴田事件・「無知の暴露」分析


『自白が無実を証明する』における供述分析の各論は、すでに一部を紹介した変遷分析(嘘分析)、無知の暴露分析、そして自白の誘導可能性分析からなっている。「変遷(嘘)」分析とは供述の変遷が「真犯人が真相の自白に追い込まれる過程」として合理的に理解できるか、それとも「無実の人が取調官との共同作業で犯行筋書を想像してゆく過程」とした方が合理的に理解できるか、を分析するものである。「誘導可能性」分析とは、供述者が無実であるとの仮説に立った場合に「全自白過程を矛盾なく理解できるかどうか」(296ページ)を検討する作業である。すなわち、捜査当局が把握していた情報、証拠は事件の真相について無知である被疑者を誘導して「自白」させるに足るものかどうか、の分析である(「秘密の暴露」がないことを明らかにする作業、と言い替えてもよいだろう)。これらに比べてより積極的に供述者は無実であると主張する根拠足り得るのが「無知の暴露」分析である。「自白した被疑者が、事件後の検証などで明らかになった客観的な犯行事実について、まったく無知でしかないことを露呈させてしまう」のが「無知の暴露」であり、残された供述のうちに無知の徴候を求める作業が「無知の暴露」分析である。「無知の暴露」概念についてはこちらのエントリもご参照いただきたい。
『自白が・・・』では金の入っていた袋、奪った金の額と種類、死体の位置という3点について「無知の暴露」が主張されているが、ここでは金袋の問題に絞って紹介したい。


まず客観的な状況(自供以外の証拠によって証しされている事情)は次の通りである。事件の前日、7人の販売員兼集金人が集金した代金がそれぞれ白木綿の布袋に入れられ、さらに会社で直接販売した売上金の入った布袋1つ、会社印鑑4つを入れた布袋1つの計9袋が甚吉袋と呼ばれる、大型の丈夫な布袋に収められた。被害者の一人である専務は終業後この甚吉袋を持ち帰り自宅の八畳間(被害者のうち専務の妻と長男の遺体が発見された部屋)の夜具入れで保管するのを常としていた。事件後の現場検証では、この甚吉袋は一部が焼けこげた状態で八畳間の夜具入れから見つかり、かつその中には9つの布袋のうち6つが手つかずで見つかった。さらに2つが専務宅の裏口近くで発見され(中の現金、小切手は手つかず)、残り1つだけが行方不明であった(家宅捜索等によっても発見されず、警察は犯人が中の金品だけを盗って袋は捨て、放火により消失したと考えた)。
味噌工場の住み込み工員だった袴田死刑囚は他の住み込み工員とともにふだん朝夕の食事を専務宅でとっており、また専務は甚吉袋を持って帰宅・出勤していたのであるから、袴田死刑囚はこの甚吉袋については知り得る立場にあった。他方、専務や販売員兼集金人(全部で11人)、および事務員と違って白木綿の布袋については必ずしも知り得ない(通常の業務、生活の過程で知る機会が確実にあるわけではない)立場にあった。実際、すでに自供に転じてしばらくたった9月22日づけの調書では「私は、甚吉袋の中には、ぜにをむきだしのまま入れてあるものとばっかり思っていました。小さい布袋に分けて入れてあることは、今度の事件ではじめて知ったのです」と供述している。これは、もし袴田死刑囚が真犯人であるとすれば、いかにもありそうな、それゆえ信憑性が高いといえる供述である。したがって、もしこの供述が自発的になされたのだとすれば「秘密の暴露」的な性格の強い*1供述であると考えることができる。
だが問題は、この供述が自供に転じてから2週間以上も経ってなされたものだ、ということである。最初期の自白調書、9月7日づけの警察調書では実は次のような供述がなされていた。

(奥さんを刺して倒したあと)それで私は、奥さんが投げてよこしたじんきち袋を持ってそのまま逃げてしまおうと思い、じんきちを拾ったのです。じんきち袋というのは会社の売上金とか集金した金を毎日専務が、じんきちに入れて、店に持ち帰り、朝、会社に持って出勤してくるのを時々見て知っていました。給料前で金もないし、じんきちを持って逃げようと思い、そのまま裏口から出て工場の三角部屋の隣の倉庫の中に入り、そこで色々と考えました。
(中略)専務のところで火をつける前に右手首に吊り下げてあったじんきち袋を手首から外して、その中から金をしょずむようにして出しました。じんきちは、そこにおいたような気もしますが、よく考えてみます。金はいくらあったのか分かりませんが、手に持ち、それから専務に火をつけ、裏口から出てきたのです。

これは明らかに客観的な状況と矛盾する供述である。したがって(1)真犯人の錯誤、(2)真犯人の嘘、(3)無実の人の「無知の暴露」のいずれかでなければならない。(1)はどうか? もし袴田死刑囚が真犯人であれば、22日の調書にある「小さい布袋に分けて入れてあることは、今度の事件ではじめて知ったのです」という供述が信憑性の高いものであることはすでに述べた。そうだとすると、小袋の存在は犯人にとって意外な、新発見であったということになり、強く印象に残ったはずである。また数の面(持ち出された小袋は3つ)でも大きさの面でもまったく異なる甚吉袋と小袋とを間違えて記憶(ないし想起)するということはそうそうありそうなことではない。次に(2)はどうか。強盗殺人プラス放火という罪状の前では金を甚吉袋から取り出したか小袋から取り出したかはとるに足らない相違であって、嘘をつく動機は事実上ない。では(3)であると考えてよいのか?
これ以降の調書では供述は徐々に客観的な証拠と一致する方向で変遷する。そして9月12日づけの検事調書(9月12日付吉村検面)では「私は今度の事件を起こしてから会社の人や警察の人のはなしを聞いて、金の入っている袋のことをじんきちというのだなと思っていました」と供述している。もしこれが本当であれば、7日の供述では袋の数が3つであることに触れていないという問題はあるものの、ひとまず辻褄はあう。しかしながら、「9月12日付吉村検面がどのように言い訳しようとも言い訳できない厳たる証拠」が存在しているのである(『自白が・・・』、240ページ)。
実は上で引用した9月7日付調書には、引用箇所に先立って次のような供述が記録されている。

(M男をかやの上で刺したあと)そのかやの外側に奥さんが立ってて、倒れたM男くんの方に来て、私に「これを持ってって」と言ってじんきち袋一ケを投げてよこしました。そのときのじんきち袋は私が書いたような恰好の袋でしたので参考までに図面を出します。(このとき本職は被疑者の作成した図面一葉を、本調書の末尾に添付することにした。)

「本職」とあるのはこの調書を録取した取調官のことである。そして添付された署名・捺印のある図面(『自白が・・・』では234ページに転載されている)はまごうかたなき甚吉袋の図なのである。真犯人が図面を書いたならば犯行当時の記憶を想起するための努力を行なったはずであり、これが(1)真犯人の錯誤であるという可能性はますます低くなる。このような錯誤が起こりうることが記憶心理学的に裏づけられるのでないかぎり、これは「無知の暴露」であると考えるのが妥当だということになる。また、袴田死刑囚が無実であったとしても「会社の売上金とか集金した金を毎日専務が、じんきちに入れて、店に持ち帰り、朝、会社に持って出勤してくる」という事情は知っていておかしくないことである。仮に甚吉袋の中身を正確に知らなかったとしても、専務が朝夕持参して出勤・帰宅することから「盗まれては困るものが入っている」と推測することは容易である。したがって、7日付け調書の「じんきち袋を持ってそのまま逃げてしまおうと思い、じんきちを拾ったのです」という供述は、無実の袴田死刑囚が「犯人になる」ことを強いられて紡ぎ出した犯行筋書として、合理的に解釈可能である。

*1:厳密には「秘密の暴露」ではないけれども、取調官による誘導でなされる供述とも考えにくい。袴田死刑囚が無実だとしても、たしかに「小さい布袋に分けて入れてあることは、今度の事件ではじめて知った」わけである。