袴田事件・供述の変遷とその分析 その3

64年8月18日に袴田死刑囚を逮捕した清水警察署は主にパジャマについた血、事件直後のアリバイ*1、左手中指の傷について追及し、9月6日にようやく「自白」へと追い込む。この日以降の自白を浜田氏は大きく3つの時期に分類している。各時期で犯行の動機をはじめ犯行筋書に大きな変遷が見られるからである。以下では予告通り、犯行当時の着衣の問題に絞ってこの変遷を辿ることにする。


第一期(9月6日)
パジャマの上に雨合羽(工場の従業員が使用していたもの)を着て油の入ったポリ樽をかかえ裏木戸まで行った。雨合羽を着たのは「パジャマに油がつくと困る」と考えたこと、また「パジャマの上衣がビラビラするから」。専務宅に侵入する前に中庭で雨合羽を脱ぐ。このとき小刀の鞘をポケットに入れた。雨合羽を脱いだ理由には触れず。(なお、この日にとられた最初の調書では雨合羽には言及がない。)
殺人・放火を行なって住み込んでいた工場に戻ってから血の付いたパジャマを脱ぎ、風呂桶につけておいた。部屋に戻ると周囲が家事に気づいて騒ぎになったため風呂桶のパジャマを絞って着た後、計30分程逡巡してから現場に戻って消火活動を手伝った。


第二期(9月7日)
パジャマの上に雨合羽を着て専務宅に侵入、食堂で小刀を入手。雨合羽を着た理由は「パジャマの上衣がビラビラする」ので。いったん中庭に出て「一寸暑く感じた」ので雨合羽を脱ぐ。このとき鞘を雨合羽のポケットに入れた。工場に戻ってからの行動については詳しい供述なし。


第三期(9月8日以降。唯一証拠採用された検事調書を含む)
パジャマの上に雨合羽を着て小刀を持って専務宅に向かう。雨合羽を着た理由は「変装」のため(8日の調書)、「パジャマのままだと白っぽくて人目につきやすいとおもった」(9日の検事調書)から。中庭で雨合羽を脱ぐ(この時鞘をポケットに)のだが、その理由には微妙な変遷がある。8日の供述では専務宅に侵入する前に「ゴワゴワ音がして店のものに見つかってしまうということ」と、「あんなものを着ているときゅうくつというか、身体が自由に動けないので」脱いだとされている。これに対して9日の検事調書(唯一証拠採用されたもの)では雨合羽を着たままいったん専務宅に侵入し、しばらく様子をうかがっていたところ、「身体を動かすと合羽がごわごわ音をたてるので」中庭に出て雨合羽を脱ぎ、再侵入したとされている。
殺害後、金の入った布袋3つを持って逃げるが、8日の調書と9日の最初の警察調書では2つをパジャマの上衣のポケットに入れ、残りを手に持ったとされている。ところが9日の検事調書では次のように変化する。

 私はパジャマには右左にポケットがあるものとばかり思っていたのでポケットに入れたじゃあないかと思って、そのように話したのですが、本日検事さんの調べを受けた際、よく考えてみると、私のパジャマには胸ポケットだけで、上衣には左右にポケットがないことに気がつきました。ですから、あのときの布袋3ケは4人をやってしまったあとであり、あわをくってたので、ただ逃げようとの考えが頭にあり3ケとも手に持ってきたのです。

放火をして工場に戻った後の行動については、第一期の供述と大差がない。


訂正された冒頭陳述での検察側主張
前述したように、第一審の公判中に工場の味噌タンクから5点の衣類が発見され、犯行との関連が疑われたため検察は犯行筋書の大幅な変更を迫られる。
鉄紺色のズボン、黒のスポーツシャツの上に雨合羽を着て犯行を行なう。雨合羽を着た理由には言及なし*2。自室に戻ってパジャマに着替えた(このとき、血液と油が着衣からパジャマに付着した)。


一審判決の事実認定
これまた前回述べたように、新たに発見された5点の衣類からは放火に使われた油が発見されなかった。そのため、判決は検察の主張とは異なる事実認定を行なっている。すなわち、殺人を犯した後いったん自室に戻ってパジャマに着替え、その後放火に及んだというのである。


さて、問題は以上のような変遷が(A)真犯人が追及に負けて真実を語ってゆく過程、(B)無実の人が断片的な知識と想像によって証拠に合致する筋書を考えてゆく過程、のどちらとしてよりよく理解しうるか、である。まず真犯人が記憶違い等で事実と異なる供述を行なう可能性についてだが、判決が正しければ袴田死刑囚は犯行の途中で着替えをし、殺人を犯した時の着衣を隠すという隠蔽工作までしているのであるから、記憶違いで「パジャマ姿で犯行を行なった」と供述してしまうなどということはおよそ考えられない。よって袴田事件における供述の変遷を被疑者の錯誤が正されてゆく過程であるとする仮説は検討に値しない。
次に、一般論として、すでに犯行を自白した真犯人が動機や犯行様態の細部、共犯者との役割分担などについてなお嘘をつくことは十分あり得ることである。しかし「「嘘」には必ず意識的な理由がある」(『自白が無実を証明する』、104ページ)。刑事事件の真犯人がつく嘘の場合であれば「より罪が軽くなるように」つく嘘、あるいは犯行それ自体は認めたとしてもなお隠しておきたい事情についての嘘であれば、それらはそれなりの合理性をもった嘘として理解することができる。しかしこの場合はどうか。4人の殺人と放火、強盗を認めておきながら犯行時の着衣について嘘をつく理由があるだろうか。判決はこの点について次のように述べている。

 右供述の当時(9月9日)、未だ5点の衣類が発見されず、パジャマだけであったため、まず検察官が、被告人は犯行(殺傷)の際にパジャマを着用していたものだという推測のもとに、被告人に対してパジャマの血液等についての説明を求めたため被告人は、5点の着衣が未だ発見されていないのを幸いに、検察官の推測に便乗したような形で、右のような供述をするに至ったものと認められる。

強調は引用者。これまた一般論としては、取調官が真相を把握していない場合に、その無知ないし錯誤に「便乗」して被疑者が嘘をつくということはあり得るだろう。しかし着衣に関する嘘はそうしたものとして説明可能だろうか?

 請求人〔=袴田死刑囚〕が真犯人で、実際に犯行筋書IV〔判決が認定した筋書〕で本件をやっていたとする。そうだとすれば請求人にとって突きつけられて最も困ることは、血だらけの5点の犯行着衣である。パジャマの血の方は肉眼ではよくわからない程度のものであることは、請求人自身が知っている。何しろ5点の犯行着衣の方は処分したのである。目で見て血がついていればこのパジャマも当然同じように処分しなければならなかったはずである。パジャマは請求人が事件後も着ており、目の前で押収されていった。目で見てわかるほどの血がついていないことはわかっている。
 そのパジャマに血がついているといって責められたのだが、真犯人にしてみれば、それは捜査側がまだ問題の犯行着衣を掌握していない証拠となる。肝心な物はまだ見つかっていないのである。そういう状況で、「(本当の)着衣が未だ発見されていないのを幸いに、検察官(捜査官)の推測に便乗した」などということはありえない。
 請求人はパジャマの血で自白に落ちたのである。もし請求人が真犯人であるとすれば、お門違いの証拠を突きつけられて自白をしたということになる。それがどうして「便乗」などという話になるであろうか。文字通りの意味で「着衣が未だ発見されていないのを幸いに・・・・・・」というのなら、「だから否認を維持した」ということになるはずの文脈である。
(同書113ページ)

犯行は認めたうえで犯行時の着衣について嘘をついたからといって得られるものはなにもない。無理に可能性を考えれば“公判では否認に転じることを予定し、パジャマに付着した血液が極めて微量であることに乗じて警察の鑑定結果について争い、無罪を勝ち取るために犯行着衣については嘘を述べた”というものくらいだろうか。しかしそれほど冷静に先読みをすることのできる被疑者であれば、拘置期限が終わりに近づいているときになって自供するというのが不自然だ。8月18日の逮捕から9月5日までは否認でがんばっていたのである。
さらに犯行着衣に関する齟齬は犯行の流れの中での雨合羽の位置づけにも影響を及ぼす。自白調書では雨合羽を着た理由は最終的に「パジャマ姿では目立つから」ということに落ち着いていた。しかし後に発見された着衣はパジャマとは違って目立ちにくい色であるからつじつまがあわなくなる。したがって、着衣に関する供述は「無実の人が犯行筋書の変遷、把握証拠との整合性に応じて、遡行的に考え出した理屈だと考える方がよほど順当」(同書118ページ)だ、という結論になる。


なお、浜田氏の分析は基本的に「袴田死刑囚が確定判決の認定した筋書で犯行を行なった」という前提にたつ仮説と「袴田死刑囚は無実である」という前提にたつ仮説とを比較し、後者の方がより合理的に供述の変遷を説明すると結論するものである。再審請求のための議論としてはこれで十分であるわけだが、法的な問題を越えて袴田死刑囚が無実であるかどうかを検討するには、ここでもう一つ、実はあとから発見された着衣は犯行とは無関係であり、袴田死刑囚は供述通りパジャマを着て犯行を行なったという前提にたつ仮説を取りあげる必要もあろう。味噌タンクから発見された5点の着衣を無視した場合に供述の変遷をどう理解することができるか、これについては次回で考察する。

*1:事件発生からパジャマ姿の袴田死刑囚が同僚に目撃されるまでの間にタイムラグがあった。

*2:第二審で検察は「雨合羽で身体の線を隠そうと」したのではないかと主張、判決も「不合理ではない」と認定。