袴田事件・供述の変遷とその分析 その4


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確定判決が認定した通り袴田巌死刑囚が黒スポーツシャツその他の衣類を着て殺人を犯したという前提に立つかぎり、取り調べ段階での自白は重大な嘘(犯行当時パジャマを着ていた、という嘘)を含んでいることになり、かつこの嘘を真犯人の心理に即して理解することは不可能である、という結論を前回までで紹介した。
他方、公判中に新たに発見された5点の着衣には、ズボンのサイズが小さすぎて袴田被告(当時)にははけなかった、ズボンよりもステテコの方に大量の血液が付着しているなど、いくつかの不審点が指摘されてもいる。そこで、“判決は犯行当時の着衣について誤っており、犯行は自供通りパジャマ姿でなされた”という仮説も検討に値することになる。この前提を採用するなら、自白調書は犯行当時の着衣について重大かつ不可解な嘘を含まないことになるから、自白は真犯人によるものだと考えてよいか? これが今回検討する問題である。
さて、自白調書は犯行当時パジャマ姿であったことで一貫しているが、そもそも袴田死刑囚はパジャマに微量の血液が付着していることを理由の一つとして逮捕されており、取り調べでもこの点が追及されている。取調官の一人は自供が始まった日のことについて公判で次のように証言している。

当日の自供に入るまでのあなた方の尋問の要点といいますか、それはどういうところにありましたか。
−−−−当時は袴田が使っておりました、袴田自身のパジャマについておりましたA型の血液はどこでついたものかと、どうしてついているんだということ、科学的に検査されておっていまははっきりしておるんだから、その点をはっきりしなさいというのが主でありました。
(『自白が無実を証明する』、114ページより孫引き)

したがって被疑者(当時)としては自分がパジャマ姿で犯行を行なったという疑いを警察が持っていること、パジャマと事件を関係づける証拠(血痕)を握っていると主張していることは当然承知していたのであって、無実であるにもかかわらず「犯人になる」ことを引き受けざるを得ない立場に追い込まれた時、「パジャマ姿で専務宅に侵入した・・・」という犯行筋書を想像するのは自然な成り行きである。この点を念頭において第一期から第三期までの供述をみると、そこには見過ごせない変遷があることがわかる。特に重要と思われるのは次の2点。

  • 雨合羽をパジャマの上に着た理由、および脱いだタイミング・理由
  • 金の入った小袋の運び出しとポケット

後者は第三期の自供のなかで起こっている変遷である。8日の調書と9日の最初の警察調書では3つの布袋のうち2つをパジャマの上衣の左右のポケットに入れ、残りを手に持ったと供述しているのに対し、9日の検事調書では3つとも手に持って逃げたことになっている。これは問題のパジャマには胸ポケットがあるだけで、上衣の左右にはポケットがないという矛盾を指摘されて「よく考えて」みた結果の訂正ということにされている。
毎日のように使用している衣類でも、いやパジャマのように毎日のように使用するものであるからこそ、ポケットの有無について思い違いをするということ自体はあり得るだろう。パジャマのポケットを使用する機会などそうないのが普通であろうし、ポケットに意識を向けたことが一度もなかったとしても不思議ではない。だが、本当は3つの布袋を手に持って逃げた真犯人が、「2つはポケットに入れた」と思い違いをするということがあり得るだろうか? もし被疑者(当時)が真犯人であれば、一家4人を殺害した直後で平静な精神状態ではなかっただろうということを考えれば不可能とは即断できないにせよ、長期間の取り調べに否認を貫きやがて自供に転じるまで、被疑者は犯行時のことを何度も思い浮かべたはずである(真犯人が嘘をついて否認するなら、“決定的な手がかりを残したりはしなかったか?”“警察はどこまでつかんでいるのか?”を意識しながら否認するはずで、当然犯行時のことを想起するはずだ)。とすれば、「金を持って逃げた」という体験を持たない無実の人間が自白に追い込まれて犯行プロセスを想像する際ポケットが無いことに意識が及ばなかったために生じた齟齬である、という解釈は高い合理性をもつと言うことができる。
前者、すなわち雨合羽に関する供述の変遷は、実は犯行の動機や凶器の入手方法についての変遷と連動したものである*1。第一期と第二期の自供では被害者の一人である専務夫人と「肉体関係」があったとされ、第三期ではこれが否定され金目当ての犯行だったと変わる。さらに第一期では専務夫人に(家の立て替えのため)放火を依頼された、第二期では二人の関係がばれたので専務と「話をつける」ために(不調に終われば金を脅し取ろうと)専務宅に行った、と変遷している。第一期の動機では放火が目的であるから最初から油を携行しており、「パジャマに油がつくと困る」から雨合羽を着たとされる。第二期以降は放火は計画的なものではなくなるのでこの理由が消滅する。凶器とされた小刀は第一期では裏口で専務夫人から渡され、中庭で雨合羽のポケットに鞘を入れかっぱを脱ぐ・・・という流れになる。ところが第二期では専務夫人との共謀が否定され小刀は専務宅の食堂にあったとされる。専務宅にあった小刀を凶器として使用したにもかかわらず小刀の鞘は中庭の雨合羽のポケットから見つかっているため、専務宅に二度侵入するという新たな筋書が登場する。すなわち、食堂で小刀を入手した後いったん中庭に出て、雨合羽を脱いで再び侵入したというのである。第三期では自室から凶器を携帯したことになったのでこの「二度入り」の理由はなくなった。実際、8日付の警察調書では「二度入り」の供述はない。雨合羽は「あんなものを着て行ったらゴワゴワ音がして店のものに見つかってしまう」、「あんなものを着ているときゅうくつというか、身体が自由に動けないので」侵入前に脱いだ、となる。ところが9日付の検事調書ではいったん専務宅に侵入したあと、「身体を動かすと合羽がごわごわ音をたてるので」中庭に出て雨合羽を脱ぎ、再侵入したと変わる。一見すると些細なようであるが、ゴワゴワ音がすると「思って」脱ぐのとごわごわ音を「たてるので」脱ぐのとでは記憶の想起としてはかなり違う。特に9日の供述ではいったん専務宅を出てから犯行を継続するかどうか逡巡したと供述されており、もしこれが真実であれば間違えたり忘れたりすることは(ありえないとは言えないとしても)考えにくい。また、この点は先の布袋の持ち出し方法と同様動機についての供述の変遷とは独立した変遷であり、第三期に語られた動機が真実であるなら嘘を述べる理由もないところである。このように、真犯人の自供という前提にたてば説明が困難な変遷も、証拠の断片(中庭の雨合羽、凶器の小刀、3つ持ち出され1つだけが行方不明の布袋)と辻褄のあうストーリーを徐々に組み立てていく過程であると考えれば合理的に理解可能である。


犯行時の着衣に関する供述の変遷の分析は以上で紹介を終え、次回は金の入った布袋に関する供述に「無知の暴露」があるとする分析を紹介したい。

*1:したがって本来は動機についての供述の変遷の分析を避けて通ることはできないのだが、ここでは浜田氏の結論がやはり「真犯人がついた嘘」という仮説より「無実の人間の想像」という仮説を支持するものだということを指摘するにとどめる。私見では、着衣をめぐる供述の変遷と比較するなら、動機の変遷それ自体は「真犯人の嘘」と解する余地がまだあるだろう、と思う。ただし動機の変遷に連動して大きく犯行筋書が変わっていることまで考えあわせるなら、浜田氏の結論には無視できない説得力がある。