違法な別件逮捕で無罪判決

asahi.com 2009年3月4日 「浮浪容疑の逮捕「違法」 覚せい剤使用の被告に逆転無罪」(魚拓

 軽犯罪法違反(浮浪)の疑いで奈良県警に現行犯逮捕され、勾留(こうりゅう)中の尿検査の結果から覚せい剤取締法違反(使用)の罪で起訴された住所不定、無職の男性(43)の控訴審で、大阪高裁は3日、逆転無罪の判決を言い渡した。古川博裁判長は浮浪容疑での逮捕について「要件を満たしておらず違法」と判断。「違法な別件逮捕中の採尿にもとづく鑑定には証拠能力はない」と述べ、懲役3年の実刑とした昨年10月の一審・奈良地裁判決を破棄した。


 浮浪は軽犯罪法が列挙する罪の一つで、「働く能力がありながら職業に就く意思を持たず、一定の住居を持たずに諸方をうろついたもの」と規定され、ほかの罪とともに「該当する者は拘留または科料に処する」とされている。警察庁の07年の犯罪統計によると、同法違反の摘発件数1万8478件のうち浮浪の適用は6件。弁護人によると勾留されたケースは異例。


 判決は、男性の生活実態について、男性が乗っていた車の中に求人情報誌や求人票があり、就職活動中だった▽マンションを賃借していた、と認定。浮浪容疑での逮捕は誤っていたと判断した。そのうえで、軽犯罪法が適用上の注意として「国民の権利を不当に侵害しないように留意し、本来の目的を逸脱して他の目的のために乱用してはならない」と定めている点に触れ、県警の捜査について「定めに反する判断で、落ち度にほかならない」と非難した。
(後略)

「浮浪」を取り締まる法律が悪用された例として、別館では「満洲国」の保安矯正法について紹介したことがある。

(…)保安矯正法には治安対策としての保安処分の他に、労働力確保のための強制労働法の性格をもっていたものと思われる。いやむしろ保安処分の名を借りて強制労働の体制を法律化したもの、というべきだろう。伊達秋雄も「その立案と運営に参画した」(同『半生の記』)。彼は書いている。
「それは国内にあふれていた浮浪者、労働嫌忌者の群れをかきあつめて補導院に収容して労働に従事させようという、戦時下における労働力の確保という狙いのあったことも確かである。しかし保安処分と銘打っている以上、ただの浮浪者というだけでは対象者にするわけにはいかないから、やはり虞犯者という要件が前提となっていたことは当然であった」、「当時満州では石炭堀などに膨大な労働力を必要としていたので、政府は行政機関を通じて強力な浮浪者狩りを行って労働者を炭坑などに送り込んでいた。それはまさしく強制的な措置で、しかも驚くべきことに何等法的根拠もなく、全く行政措置で行っていた。その数は十万をこえるといわれていた。太田さん〔=〔満州国」司法部刑事司長だった太田耐造〕はこの現実に非常な怒りを覚えた。かくてこの乱暴な行政措置をやめさせるために保安処分制度を実施させたのである」(「法治主義に徹して」、『太田耐造追想録』所収)。しかし「浮浪者又は労働嫌忌者にして浮浪又は労働嫌忌に因り罪を犯す虞あるもの」などという要件では、どうやってその「虞」の有無を決めるのか、見当もつかない。実際は浮浪者狩りと少しも変わらなかっただろう。(…)
上田誠吉、『司法官の戦争責任 満州体験と戦後司法』、花伝社、49-50頁)

大日本帝国では浮浪(徘徊)には警察犯処罰令の「一定ノ住居又ハ生業ナクシテ諸方ニ徘徊スル者」を30日未満の拘留に処するとする条文が適用された。しかも違警罪即決例は裁判所の判決によることなく、「警察署長及ヒ分署長又ハ其代理タル官吏」が警察犯処罰令違反を即決で処分することを定めていたので、警察が「一定ノ住居又ハ生業ナクシテ諸方ニ徘徊スル者」と認定すれば裁判所に介入される怖れなく自在に国民を勾留することができた。憲法学者奥平康弘はこの浮浪罪(徘徊罪)を「ミニ治安維持法」と評している(『治安維持法小史』、岩波現代文庫、5ページ、29ページ)。