被害者参加裁判、初の公判

昨年12月にスタートした被害者参加制度が適用された初の公判が23日に行なわれたとのことで各紙ともとりあげている。24日の朝日新聞朝刊「重い刑なら私を恨みますか 被害者参加裁判|被告に直接質問」より。

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 「夜遅くまで疲れて仕事をしている人からお金を奪うことをどう思いますか」。男性が問うと、被告席にいるピンク色のTシャツに茶色の長髪姿の若者が答えた。「……卑劣だと思います」
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 被害者「立派な社会人になって戻ってきてもらいたい。そのために、裁判所に厳しい判断をお願いしようと思っている。私のせいで刑が重くなったとき、恨みますか」
 被告「恨みません」
 被害者「今日、私の顔を見て覚えたと思うけれど、もし、道で出会ったらどうしますか」
 被告「謝ります」
 被害者の男性は2、3回うなずいて着席し、約5分間の質問を終えた。

被告に質問したのは恐喝未遂および傷害事件の被害者。現時点ではもちろん、こうしたやりとりが判決(量刑)にどう反映するのか(そもそも反映するのかどうか)不明ではあるが、取調べ過程の可視化がきちんと行なわれないままこのようなかたちでの被害者(遺族)参加が進むことには大きな懸念がある。
もちろん、新聞が報じている限りで判断すれば被害者男性は特に理不尽なことを発言しているわけではない。厳密に言えば「裁判所に厳しい判断をお願いしようと思っている」ことがどれほど純粋に「立派な社会人になって戻ってきてもらいたい」という気持ちの反映なのかを問題にすることはできるだろうが、そんなことを被害者に問うても意味のないことである。しかし被告が実は無実だという場合、被告はあくまで否認を貫き重い量刑を科されるリスクを負うか、無罪主張を諦めて刑の軽減だけに期待をつなぐか、という厳しい選択を迫られてしまうことになる。取調べ段階からずっと否認を貫けていればまだしも、自白調書を取られていれば否認に伴うリスクは極めて重くなってしまう。
この問題点は当然のこととして弁護士会やマスコミも指摘しているが、もう一点、被告(のち受刑者)にとっての「反省」というものを矮小化してしまわないか、という問題も感じる。「私のせいで刑が重くなったとき、恨みますか」と被害者に問われて「はい、恨みます」と答えてしまうのはどういう被告だろうか。演技上手な被告の陰で不器用な被告が割りを食うおそれはないのだろうか? そもそも、裁判員制度の導入もあって刑事裁判はかつてより迅速化がはかられるわけで、事件発生からまだ十分な時間――安易に「本当の反省」ということばは使いたくないが、他に適切なことばが思い当たらないのでとりあえずそう表現するなら、「本当の反省」にとって「時間」は非常に重要なエレメントであるはずだ――が経っていないのに被害者と対面することになる可能性は低くないわけだ。その段階で、被害者を目の前にして、「改悛の情」を示すことを要求することが、常によい結果を生むとはとても思えない。
司法に被害者やその遺族が何らかのかたちで参加することの意義を否定するものではないが、それは少なくとも有罪判決が確定した後、例えば仮釈放審査*1のプロセスの一環として行なわれるのが望ましいのではないだろうか。

*1:長期刑の場合、まだ仮釈放が視野に入ってこない段階でも被害者(遺族)の面会を認めその際の情報をのちの仮釈放審査で斟酌する、といったことも可能ではないか。