無知の暴露
サルトルはレイモン・アロンから現象学について「君が現象学者だったらこのカクテルについて語れるんだよ」と聞かされ「感動で青ざめた」そうですが、それほどまでの感動というのは誰もが経験できるものではないでしょう。それでも、本を読んでいて目から鱗が落ちるような思いのする知見に出会うことは幸いにして何度かありました。浜田寿美男氏の「無知の暴露」という発想もその一つです。
「秘密の暴露」は刑事事件の捜査や刑事裁判において自白の信憑性を証しする重要な要素とされています。例えば現場から凶器が発見されなかった殺人事件の捜査において、被疑者が「凶器をどこそこに捨てた」と供述し、実際にそこを捜索してみると(遺体の傷についての鑑定結果と一致する)凶器が発見された、といった場合。現場から持ち出され捨てられた凶器の行方は捜査官には知り得ない「秘密」ですから、この「秘密の暴露」が供述の中に含まれていれば取調官の誘導によるのではない、真犯人であるが故に可能な自白であると考えることができるわけです。
この「秘密の暴露」との対比で浜田氏が「無知の暴露」と名づけているのは、虚偽自白の重要な徴候です*1。
「無知の暴露」というのは、それとちょうど反対です。無実の人が自白して犯行筋書を語る時は、取調官が教えてくれるのでない限り、自分が犯人になったつもりで考えるほかありません。いや、取調官も犯行現場にいたわけではありませんから、犯行を教えられるはずはなく、手元の証拠からあれこれ想像して追及することになります。ですから結局、被疑者はあたえられたヒントによりながら自分で考えて犯行ストーリーを語る以外にないのです。しかし、実際にはやっていない人が想像で話を作るのですから、やはり現実の状況とは合わず、矛盾する部分がいろいろ出てきます。それは裏返して言えば、自白をした当人が犯行の現実を知らないということにほかなりません。そうして犯行の現実を知らないという「無知」性が暴露されてしまう。これが「無知の暴露」です。
(『取調室の心理学』、平凡社新書、43ページ)
『取調室の心理学』で紹介されているのは、1994年に起きた「広島港フェリー甲板長殺し事件」における虚偽自白です。この事件で逮捕された被疑者*2は手書きの上申書まで書いて犯行を「自供」しました。それによれば、被疑者は同僚である被害者を2人が勤務していたフェリーに「酒を飲もう」と呼び出し、桟橋から海に突き落としたとされていました。上申書には桟橋とフェリーの位置関係まで図示されています。ところが捜査が進むと、事件があった晩問題のフェリーはその桟橋には停泊していなかったことが明らかになったのです。同じ航路には3隻のフェリーが就航しており、夜間にどの船がどの桟橋に停泊するかは基本的に決まっていたのですが(そして自供にあるフェリーの位置はこの通常の停泊場所でした)、その晩に限ってそのフェリーは別の場所に停泊していたのです。
この矛盾に気づいた取調官は直ちにこの点を追及しています。調書にはそのやりとりが次のように記録されていました。
問 君は上申書でYさんを殺した桟橋に停泊していたのは石手川丸と言っているが間違いないか。
答 Yさんを誘うとき石手川丸が桟橋にいればいいなと考えていたので、その気持ちが上申書につい出てしまい、そのように書いたのです。
上申書には石手川丸と書きましたが、私にしてみればなんの船であろうと殺したことは間違いないので、深い意味はないのです。
(同書、36ページ)
「石手川丸」は被害者(実際には単なる事故の可能性もあるそうですが、便宜上こう呼びます)のYさんと被疑者が勤務していたフェリーの名です。自分たちが勤務している船(甲板長であった被害者は自室をもっていました)に「酒を飲もう」といって呼び出すのはきわめて自然な話ですが、いくら同じ会社のフェリーとはいえ、どの船でもかまわないというのはいかにも不自然です。浜田氏はこれを、停泊場所の変更を知らなかった被疑者が通常の停泊位置をもとに「想像」したストーリーがはらんでしまった、「無知の暴露」であると指摘しているわけです。
浜田氏が考える「虚偽自白」の徴候はこれだけではありません。『自白の心理学』では袴田事件の調書を「供述分析」の対象として、「無知の暴露」以外に「変遷分析」、「誘導分析」が行なわれています。しかし袴田事件については『自白が無実を証明する』(北大路書房)で詳しくとりあげられていますので、「変遷分析」「誘導分析」については同書をとりあげる機会にみてみることにします。