自爆(追記あり)

小室直樹氏が亡くなったからか、旧本館のこのエントリにまたコメントがついている。「コミケ子連れ問題」エントリと並んで“忘れた頃にコメントがつく”エントリの両横綱だ。更新をやめた跡地の、それも6年以上前のエントリにつくコメントに煩わされるのも面倒だし、見事な自爆芸を披露した人が現れた(私一人で楽しむのは残念なくらい)のを機にこちらへ誘導させてもらおう。
さて、問題のやり取りは以下の通り。

ネスレ
しかし最高裁宣明は、どう考えても違憲だったね。
2010年9月28日, 14:31:31JST

ゲスト
へぇ。憲法何条に違反するの?
2010年9月28日, 15:13:54JST

ネスレ
第76条第3項でしょう。
2010年9月28日, 22:22:05JST

Apeman
>第76条第3項でしょう。

バカ丸出しだな! せめて「37条に決まってるでしょう」と書いてくるだろうと思ってたのだがw 最高裁の「宣明」がどんな内容のものだったかも知らんだろ、あんたw

ネスレ
>バカ丸出し


そのままあなたにお返しいたします。立花信者の悪いところは、教本(ロッキード裁判批判を斬る、論駁等)に書いてないことはすべてバカとか低劣という言葉で片付けること。注意しましょう。


憲法76条第3項のことは立花教本には書いてないから、まぁ「バカ丸出し」と意味のない言葉で反駁するしかないということでしょうね。(続く)
4 days ago, 08:56:06JST

ネスレ
(続き)憲法はその最高法規性を第98条で、公務員の憲法擁護義務を第99条においてます。98条は法令に反することはしてはいけないとの禁止規定ですが、その一方、禁止してないことは何をやってもいいとは書いてないものの、禁止もしてません。これを読み替えれば行政権の執行者は法令で禁止されてないことは何でもできる(ただし予算の担保のないものは実行できないでしょうが)ということで、極めて重い責任があります。検察権も行政権の一部ですから、嘱託尋問の件や検事総長の不起訴宣明は、それが法令に明記してないものの明確な禁止規定もないことから私はあってもよいと思っている。
しかし、裁判官には、他の公務員と違って「この憲法及び法律にのみ拘束される」と第76条第3項にうたっているのはなぜか。これは裁判官は禁止規定の遵守はもちろんのこと、手続規定にないことはしてはいけないということと同等です。最高裁宣明はその意味で明らかに憲法違反。
まぁ立花信者は「あれは法的効力が何もない」と言い訳し、最高裁宣明の英文まで持ち出して反論しますが、噴飯ものです。
4 days ago, 08:57:36JST

Apeman
小室信者の悪いところは、既にカタのついている論点を性懲りもなく繰り返すこと。注意しましょうw

>これは裁判官は禁止規定の遵守はもちろんのこと、手続規定にないことはしてはいけないということと同等です。


これも既出の論点。おとといおいで。
2 days ago, 09:57:30JST

ネスレ
まぁ私は捜査段階での刑事免責嘱託尋問を否定しない私が小室信者とはハテサテ。


>既出の論点。
じゃあそれを示してみてくださいませ。


あなたの聖書(立花本)には憲法76条第3項からの視点は書いてありませんからねぇ。
聖書に書いてないもには反論できないわけですか。


立花信者はこれだから困ります。
Yesterday, 08:23:00JST

ネスレ
訂正
誤)まぁ私は捜査段階での刑事免責嘱託尋問を否定しない私
正)まぁ私は捜査段階での刑事免責嘱託尋問を否定しないわけですがそれが
Yesterday, 08:24:11JST


一つだけ「ゲスト」というハンドルがあるのは私のコメント(普段使ってないブラウザでうっかり書き込んだので、ハンドル欄が空欄のままだった)。
さて「最高裁宣明」とはつぎのような事情で出された最高裁の宣明書のことを指している。コーチャン、クラッターらへの嘱託尋問が行なわれる際、尋問を主催したアメリカの判事が免責を確実にするための保証が欲しいと言い出した。日本の検察は起訴便宜主義を根拠に実質的な免責を与えようとしたので、技術的に言えば後にコーチャンらを訴追することも十分可能だったからだ。検察は当時の検事総長名のものと東京地検検事正名のもの、2通の文書で起訴猶予にする旨を伝えていたが、いわばその裏書きを裁判所にさせてほしい、という要望である。しかし日本の最高裁には、検察の起訴猶予という決定に法的な裏付けを与えるような権限はない。だがその後、アメリカ側の要求は日本とアメリカの司法制度の違いから生じたものであり、形式よりは実態を重視し、形式としては裁判所の意見表明程度でよいと考えていることが明らかになる。これを受けて、最高裁が“検事総長の約束は今後も遵守されるだろう”という旨を宣明した……という次第。
最高裁の「宣明」がどんな内容のものだったかも知らんだろ、あんたw 」と私が書いたのは、この最高裁の宣明書の最後に「この宣明は、裁判所法第十二条の規定に基づき、最高裁判所全裁判官が一致してしたものである」とあるからである。つまりこの宣明の法的根拠は宣明そのもののうちで明示されているわけだ。
さて、それでは、裁判官が「手続規定にないことはしてはいけない」という主張は成り立つか? この問題は「既出」なのか?
立花隆憲法76条3項に触れていないのは、単にこの論点においてこの条項を引き合いに出した裁判批判論が当時いなかったからにすぎない。しかし「手続規定にないことはしてはいけない」かどうかはばっちりと問題になっているのである。ただし最高裁の宣明書についてではなく、アメリカの裁判所に証人尋問を嘱託することに関して、である。『ロッキード裁判批判を斬る 2』(朝日文庫)所収の第25章はずばり「「明文規定にないことは何もできない」論の誤謬」と題されており、そこでは嘱託尋問について規定した刑事訴訟法163条が外国の裁判所への嘱託を明文で可としていないことを理由として「外国への嘱託はできない」とする裁判批判論への再反論がなされている。再反論は24章でもなされており複数の論拠があるのだが、ここでは一つだけをあげておこう。

 どちらの立場が正しいのか。難しい法律問題ではなくて、誰にでもわかるごく簡単な例をあげてみよう。刑訴法にも刑訴規則にも、公判中の休憩のとり方に関する規定は何もない。「休憩は少なくとも二時間に一回はとるものとする」とか「弁護人が休憩をとることを要請したときには、それが相当でないものでない限り、裁判長は休憩を宣しなければならない」といった具体的な規定がないのはもとより、「裁判長は、適宜休憩を宣することによって公判を中断することができる」といった権限規定もない。要するに休憩に関する明文規定は何もないのである。すると、「明文規定にないことは何もできない」論者は、休憩もとれないことになってしまう。もちろんそういうバカなことはないのであって、実際の裁判では、裁判長の「明文規定にない」訴訟指揮権に基づいて、休憩は随時とられており、誰もそれに文句をつける者はいない。このような簡単明瞭な一つの事実によって、「明文規定にないことは何もできない」論は、その破産が証明されてしまうわけだ。
(70-71ページ)

だいたい裁判官が「この憲法及び法律にのみ拘束される」からといって、存在しない法律になど拘束されようがないではないか。そもそも76条3項は裁判官の独立を保証するための条文であって、裁判官の権限を制約するための条文ではない。ゆえに、76条3項を以て「裁判官は明文規定のあることしかやってはならない」と論じるのは条文の趣旨を無視した誤謬にすぎないのだ。98条・99条と76条3項は全く目的を異にしているのであって、両者をでたらめにつないではならない。


さらに決定的なのは、ネスレ氏が「私は捜査段階での刑事免責嘱託尋問を否定しない」と言っちゃってること。嘱託尋問は上述したように刑訴法163条に基づき裁判所(検察ではなく!)が行なうものだが、そこには「外国の裁判所にも嘱託できる」という明文規定はない。明文規定至上主義に従えば「外国への嘱託尋問もできない」と主張しなければならないのである。まあ、ためにする議論は所詮こんなもの、の見本ですな。


追記:コメントするならこっちにしろ、と書いておいたのに旧本館の方にコメントを続ける「ネスレ」くんの正体はボットかヘタレのどちらかでしょう。もっとも、ボットにしてはなかなかの自爆芸を続けてくれるのでこちらで紹介しておくことにします。

>刑訴法にも刑訴規則にも、公判中の休憩のとり方に関する規定は何もない。「休憩は少なくとも二時間に一回はとるものとする」とか「弁護人が休憩をとることを要請したときには、それが相当でないものでない限り、裁判長は休憩を宣しなければならない」といった具体的な規定がないのはもとより、「裁判長は、適宜休憩を宣することによって公判を中断することができる」といった権限規定もない。要するに休憩に関する明文規定は何もないのである。<
刑事訴訟法では(民事訴訟法でもそうだが)、裁判長に訴訟の公指揮監督権を与えている。これが明文規定でないと言い張るとはまぁ詭弁もここまで来たかと驚くばかり。

バカですねぇ(笑) 裁判官の訴訟指揮権は刑訴法294条「公判期日における訴訟の指揮は、裁判長がこれを行う」に根拠を持つが、これはもちろん公判において裁判官が休憩(休廷)を宣する権限を「明文」で認めるものではない。逆に、これが休憩を宣することの「明文規定」だというのであれば、裁判所法第12条「最高裁判所が司法行政事務を行うのは、裁判官会議の議によるものとし、最高裁判所長官が、これを総括する」は最高裁アメリカの裁判所に宣明書を送ることを可とする「明文規定」だということで一件落着である。なぜなら、宣明書は「司法行政事務」として作成され・送付されたというのが最高裁の説明であるから。

>嘱託尋問は上述したように刑訴法163条に基づき裁判所(検察ではなく!)が行なうものだが、そこには「外国の裁判所にも嘱託できる」という明文規定はない。<
あれ?この部分については「聖書」が「明文規定」を示していたような記憶がありますが〜読んでいないのかな???
ともかく上記の指摘には失笑を禁じ得ない。
コーチャン氏らへの尋問は一般には「嘱託尋問」と呼称されているから刑訴法第163条の嘱託尋問と思うのだろうが、あれは刑訴法第226条による尋問でっせ。これは検察官が主体となって行なうもの。請求主体は検察官。裁判所は取次に過ぎません。検察官(=検察権は行政権の発動ですからね!)が外国に尋問を行なって悪いとは書いてありません。ああ、こんな基礎知識も欠いた上でロッキード裁判を論ずるとは。。。
バカの至り(失笑、失笑)

バカですねぇ。226条は「嘱託尋問」に関する規定ではない。捜査段階で、検察が参考人に対する証人尋問を行なうよう裁判所に要求することができる、というのが226条の規定。この請求は東京地裁に対してなされたから、これだけであれば東京地裁の管轄下に住んでいる者に対してしか証人尋問を行なうことができない。そこで刑訴法163条に基づき、裁判官が出張するか参考人の居住地の裁判所に対して証人尋問を嘱託することが必要になる。つまり、刑訴法226条だけでは米カリフォルニア州の住人であるコーチャンらへの証人尋問は実現しない。そして刑訴法163条は裁判所が海外の裁判所に証人尋問を嘱託できるとは「明文」で規定していない。
なお「請求主体は検察官。裁判所は取次に過ぎません。検察官(=検察権は行政権の発動ですからね!)が外国に尋問を行なって悪いとは書いてありません」とは戯言もいいところ。刑訴法226条に基づき証人尋問を「請求」するのは検察だが、証人尋問を行なうのは裁判所であって検察ではない。刑訴法226条にも163条にも裁判官が海外の参考人に対し証人尋問を行なってよいという「明文」の規定はない。「基礎知識」を欠いているのはネスレボットくんの方である。
言うまでもなく、憲法76条3項が裁判官の独立に関する規定であること、すなわち「裁判官が何をしてはいけないか」に関する規定ではないことについての反論はない。ボットには無理な注文であろうが。