「海から魚が消える日」


今朝 NHK BSプレミアムで放映されていた「海から魚が消える日」を観た。

「漁業技術のハイテク化による乱獲で、この半世紀で世界の海から大型魚の90%が姿を消し、このままだと2048年には商業漁業が成り立たなくなる」とする専門家の予測がある。カナダのニューファンドランド島沖合でのタラ漁全面禁止や、地中海でのクロマグロ密漁の実態などを取り上げながら、節度を欠いた乱獲に警鐘を鳴らすとともに、悲劇的なシナリオを避けるために、いま実行可能な方策を探る

スーパーなどの鮮魚売り場を歩いているだけでも水産資源の危機的状況は明らかだ。一昔前なら店頭では見かけなかったような小さなサイズのサバやスルメイカが陳列されている。アサリもシジミも子どもの頃の記憶より一回りどころか二回りくらい小さくなっている。乾燥ワカメのうち廉価なものは韓国産から中国産に変わっていることに最近気がついた……等々。
この番組では日本が表立って批判されているわけではないが、大型魚の漁獲量の落ち込みがまずは日本近海で(しかも1950年代から!)始まっていることは紹介されている。魚の乱獲に対して責任を負うべきは日本だけではないけれども、日本が最も責任を負うべき国の一つであることは疑いようがない。
水産資源の枯渇に対して、マスメディアでは養殖・養畜技術の進歩への期待が語られることがある。しかし養殖・養畜のための飼料が海(や河川)から調達される限り、養殖・養畜はむしろ問題を悪化させる可能性の方が高い。日本ではすでにサバを養殖するためにサバの稚魚を飼料にするという、正気の沙汰とは思えない事態まで実現している。
養殖・養畜でなんとかなると思いこむのは原子力発電にも通じる技術過信の一例であるが、原発との共通点はこれだけではない。番組ではヨーロッパの業者がセネガル政府から漁業権を買い取ってトロール船で根こそぎ穫ってゆく一方で、地元の零細な漁民が困窮してゆく(それがアフリカからヨーロッパへの移民の送り出し圧力にもなっている)ことが語られている。
番組の最後には、漁獲高の制限が科学的な知見よりも政治的な駆け引きによって決められていることを批判して、"Tell politicians: respect the science, cut the fishing fleet" (政治家に告げよ、科学を尊重し漁船団を削減せよ、と)というテロップが呈示される。ただし科学を尊重しなければならないのは政治家だけではなく、マスコミも、消費者も同様である。そして福島第一原発の事故は科学者に対しても「科学を尊重せよ」と言わねばならない場面もあることを明らかにしている。