鮎川信夫の『死の灰詩集』批判


2005年刊の『戦争の記憶をさかのぼる』(坪井秀人、ちくま新書)の第3章では、1954年にビキニ環礁での被曝事件をうけて現代詩人会が編纂した『死の灰詩集』に対する鮎川信夫の批判が紹介されているのだが、これが現在の震災や原発事故をめぐる状況を考えるうえで示唆に富んでいると思われるので、簡単に紹介しておきたい。

 水爆の出現に象徴される現代世界の文明の背景を、立体的に理解しようとせず、うわつらで抗議やら叫喚の声をあげているだけのものが多い。そして、そのほとんどは、復讐心、排外主義、感傷に訴えかけようとしている。敗戦の影響は意外なところで、かつての戦争詩人たちの意識をむしばみつづけてきたようだ。(『鮎川信夫全集』第四巻)


 戦時中、バスの運転手は「当局」であったが、今日ではそれがどうやら「世論」とか、「国民感情」とかであるらしい。少なくとも乗客たちは、そう思いこんで満足していたし、いまも満足している。進歩派、保守派、社会派、芸術派、コミュニストモダニスト、レアリスト、ロマンティスト、そんな区分は、ここではもう必要ではないのである。
(後略)
(186ページ)

これを受けて著者は、鮎川の嫌悪感が「大政翼賛会や日本文学報国会の呼びかけに応ずること(これも世論であり国民感情であったわけだが)から〈世論〉や〈国民感情〉への迎合へと安易にスライドする身の軽さ」、あるいは「民族や国民といった共同性の深部に根を張っているかに見えるエートスがこのようにいくらでも便乗的に取り出され表象されてしまうこと」へと向けられていると分析し、「それは民族や国民などと一見公共的に開かれてあるかに見えるカテゴリーが実はいかに排他的に閉じられているものであるかをも示しているのではないだろうか」、と指摘している(187ページ)。