悪用される公文書至上主義

「そもそも」という単語の意味さえ変えようとするなどもはや「勅令かよ!」感を滲み出しつつある安倍政権下の閣議決定ですが、今度は関東大震災時の朝鮮人虐殺にもその手が及んできました。
しかしこの閣議決定、なんとも回りくどい表現になっています。
産経の報道によれば「調査した限りでは、政府内にその事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」という内容になっているのです。「調査した限りでは」「政府内に」「記録が見当たらない」と、3重に逃げ道が用意されているわけです。政府が保有しない文書に虐殺への政府の関与を示す記述があってもそんなことは知らん。今後見つかったとしても「その時は見つからなかった」のだから知らん、というわけです。
民間での調査研究の蓄積を無視するこの手法、すでに日本軍「慰安婦」問題でも使われています。そう、2007年の「同日〔=河野談話発表の日〕の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである」という閣議決定です。ふつうに考えれば「政府内にその事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」にせよ「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」も、虐殺への政府の関与や「強制連行」がなかったことの根拠としてはまったく不十分なものです。後に嘘がバレて責任を追求されるリスクを極力回避しつつ、歴史に対する責任を目一杯否認しようとする、実に姑息な手法と言うべきでしょう。