バクシーシ山下をめぐるいくつかのツイートに関して


バクシーシで盛り上がるアンチ宮台な人達と、その意外な顛末」でまとめられている一連のツイートに対するコメントのツイートが私のTLにあがってきたのだが、その中でこちらから「バクシーシは彼の作品について、出版した「セックス障害者たち」(太田出版)において、「撮影の際に男優や女優に全てのシナリオを知らせずに映像化していることがほとんどだった」と告白している」という一文が何度か引用されている。『セックス障害者たち』はむかし私も読んだことがあるのだが、その際の記憶と食い違っているので確認してみた。結論から言うと『セックス障害者たち』には「撮影の際に男優や女優に全てのシナリオを知らせずに映像化していることがほとんどだった」という趣旨の記述はない(男優に知らせなかったことが多いことについては確かに書かれている)。「言ってもいないことを言ったとする」のは容易に揚げ足取りに利用されうるうえに、やはり批判の方法としてフェアではない。なにより、真偽は別として「女優に全てのシナリオを知らせずに映像化していることがほとんどだった」ことを焦点化すると重要な論点(後述)を見えにくくしてしまうおそれがあると思うので、指摘しておく。


読み落としの可能性は否定できないが、まず間違いはないと思う。第一に、著者は「女優に説明した」という趣旨のことを何度も書いているので、「女優に全てのシナリオを知らせずに映像化していることがほとんどだった」という記述は自家撞着になってしまうから。

 この撮影で気をつけたのは、なるべく現場を和気藹々とさせないことでしたね。そのために、女の子には最初から筋書きを伝えてあるんですよ。「男優と打ち解けるな」と指示してあるんです。そうするだけで緊張感って出るものなんですよ。この「女犯」シリーズは、男優たちを騙してるんです。そうしたら逆に、「女優を騙してる」って言われたけど、それはないんです。
 ウチの会社で撮ったレイプ作品を女の子に見せて、「これくらいのことはやるよ」と。それで「痛いかもしれないけれど、レイプ作品なんだから、自分からも殴り返さなければいけない。痛いのを印象づけるために、きみも殴らなければいけないよ」という風に説明するんです。そこで女の子は「ハイ分かりました、仕事だからやります」と。だからやってるだけなんです。
(12ページ、原文のルビを省略。)

 で、いつも撮影の前に念書を書くんです。「私は*歳で、撮影条件は***で、***をします」とかね。
 ○○にはこの時に、特記事項としてスタンガンを使用することを承諾してもらいました。
(194ページ、原文の芸名を「○○」に変更。以下同じ。)

他にも「最初は「女犯」シリーズと同じような感じで、女の子にも宇野さんにも事前に説明しておいたんです」(148ページ)とか「一応、レイプシーンの撮影という設定なんで、撮影前に「レイプするよ」とは言っておいたんですけどね」(110ページ)、「最初から、この女の子には企画意図を全部伝えてたんですよ。最後に宇野さんに浣腸されることまで全部」(46ページ)などに類する記述はたびたびある。まあもちろん、ここでこそ「バクシーシが書いたものを真に受ける愚昧」について考察する必要も出てくると言うことはできようが、当時のV&Rプランニングのようにそれなりに知名度のあったメーカーなら、訴訟リスクを考えて少なくとも形のうえでは「念書」云々のような手続きを踏んだ蓋然性は高いだろう。また、「全てのシナリオを知らせずに」を厳格に解釈するなら、確かに「全て」は知らせずに撮影したケースがあることはバクシーシ山下も認めている*1。上記12ページからの引用の直後には「あ、ただ、ポンプ宇野がゲロを吐きかけることは言ってない場合があります」とあるし、「女犯4」については「すべてを知っているのは本当に僕だけ」(64ページ)、「女の子も何かしらの形で騙してるし」(69ページ)と書いている。しかし後者についても「レイプものを撮る、ということさえ事前に伝えなかった」とは解釈できない。撮影中、女優に対して「どこまで抵抗すればいいのかとか、どの段階で服を脱げばいいのかとか。それを僕が合図してたんですけど」(68ページ)などと書かれているからだ。「全てのシナリオを知らせずに」いることで撮影に伴う肉体的・精神的負担を女優が過小評価するよう誘導していた節は明らかに伺えるが、これはバクシーシ山下固有の問題でもアダルトビデオ業界固有の問題でもなく、通常の劇映画(ドラマ)やドキュメンタリーでも生じていることであろうし*2 *3、より悪質なのは次に述べるような点でこそあると私は思う。


まず問題にできるのは、「実質的なインフォームド・コンセントが成立しているとは言いがたい」ケース、また「(女優に)筋書きを説明していればいいというものではない」ケース、である。例えばスタンガンの使用を承諾させたという上記194ページのケースについて、バクシーシ山下は「ま、彼女はスタンガンが何なのか、分かってなかったかもしれないですけど」と付言している。他にも撮影した女優がシンナー中毒だったというケースが二例あり(84ページ、138ページ)、うち一例については「吸った方が少しは落ち着くかなと思って」トルエンを渡した、と書いている。もう一例、「撮影の前から叫びっぱなしで、精神安定剤をボリボリ食ってました」(340ページ)というケースがある。いずれも、インフォームド・コンセントが内実を伴ったものであるのかどうかを疑問視できるし、またバクシーシ山下自身もその点を自覚していながらそのまま撮影したケースである。類似したケースとしては、女優に脂肪吸引手術を受けさせた撮影において、「○○は、手術が進むにしたがって、すごく痛がってましたね。実は麻酔がきかないことを、僕は知ってたんです。彼女はジャンキーなんですね」(236ページ)というのがある。これらとは異なる類型だが、女優には筋書きを説明していたが、男優には説明していなかったがゆえに女優に対する人権侵害になったと評すべきケースがある。

 こいつ〔元自衛官の男優〕がひどいヤツで、本気で女の子を殴るんですよ。しかも正拳で鼻とか殴ってるんです。
 本当のレイプだと思っているから仕方ないんですけど、これは痛かったでしょうね。まあシンナーの麻酔効果で、女の子は何も感じてないのかもしれませんけど。
(87ページ)

しかしながら、バクシーシ山下の、というよりもバクシーシ山下を擁護し持ち上げる社会学者・宮台真司の悪質さがもっとも浮き彫りになるのは、次のような記述だろう。バクシーシ山下への抗議活動をした女性たちが「AV人権ネットワーク」という団体を立ち上げたが、そこに被害を訴える女優がいなかった、としたうえで、次のように述べている。

 そもそも出演している女の子に「人権」なんて意識はないですから。親に隠れてやってるくらいですから、人権もクソもないですよね。
(26ページ)

また、次のような記述もある。

 (……)いってみれば、AVのセックス自体がレイプじゃないのかと。この○○のような性格の子が多いんですよ、AVギャルって。嫌と言えない優柔不断なサセ子体質。だから、何にも理由を付けなくても、撮るものすべてがレイプになるっちゃ、なる。
(93ページ)

これらから明らかになるのは、AV女優には、たとえ「人権を侵害された」と感じたとしても親バレ等を恐れて公に訴えることができない女性が多いこと、またそもそも不当な扱いを人権侵害として認識し、嫌なことは「嫌」と言えるようエンパワーされてこなかった女性が多いことであり、かつバクシーシ山下がそれを認識していた、ということである。当然、宮台真司もそうした事情を知っているはずである。にもかかわらず、「AV女優がのべ何万人もいる中、一人でも被害届があるかい? なぜないのか考えろよ、馬鹿が」などと抜かす宮台こそが「馬鹿」と言われるべきであろう。

*1:他にも、男優が予定にない膣内射精をしてしまったというケースが複数あり。

*2:だから問題ではない、というわけではもちろんない。しかしバクシーシ山下や彼を擁護し持ち上げた宮台真司を批判する際の中心的な論点にはなり得ないだろう。

*3:実際近年になって、ベルナルド・ベルトルッチキム・ギドクの撮影手法が批判を浴びた。この注、2018年1月15日追記。