七平トリック

ちょちょんまげさんがシリーズ“山本七平氏の「弁慶がな、ぎなた」読み”で紹介しておられる山本七平の珍説、「キリスト教徒が誓うはずがない」。
http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-51.html
http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-52.html
http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-53.html
少しでも宗教史をかじったことがあれば、宗教教団が当初のラディカリズムを維持できずに世俗の論理と妥協してゆく事例なんていくらでも見つけられるはずだが、それよりなにより日曜日に教会に飛び込み、そこにいるキリスト教徒に片っ端から平手打ちを食わせてみれば七平センセのインチキを身をもって知ることができるだろう。七平トリックというのは読者がちょっと立ち止まって頭を使えばたちどころに化けの皮がはがれるようなものでしかないのだが(例えば別館で紹介したこの例もそう)、七平センセは「騙されたがっている人間がいるトピック」ないし「日本人がなんとなく関心を持っているがあまり知識を持っていないトピック」を選んでやらかすもんだから、効果を発揮しちゃったんですなぁ。
なんでこんなバカなことを言い出したのか。ちょちょんまげさんは次のように推測しておられる。

おそらく渡部昇一氏などと並び当時の右派論客として、ロッキード事件の推移(田中元首相の逮捕など)に批判的だった山本氏が、お得意の「真意を隠して枝葉に噛み付く」戦略を取ったのではないかと想像する(あくまで憶測だが)
(http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-51.html)

文藝春秋』や『諸君!』がロッキード裁判批判のキャンペーンを大々的に展開したのは一審判決が83年の秋に出て以降のことだが、コーチャンらへの嘱託尋問については尋問の行なわれる前から国会でも議論の対象となっていたので、77年においてもホットなトピックであったと言える。そしてちょちょんまげさんの推測通り、七平センセも後に80年代半ばのロッキード裁判論争に口を出して立花隆に一刀両断にされている。そのあたりは次回紹介することにしたい。