死刑廃止論者は裁判員から排除されるのか?


今日(19日)の毎日新聞朝刊は、死刑求刑も予想される裁判の裁判員選任手続きにおいて「絶対に死刑を選択しないと決めていますか」という質問を裁判長がしなかったことを報じている魚拓)。この質問は「不公平な判断をする恐れのある候補者を外す」ための質問例の一つとして、最高裁が各地裁に示していたもの。

 選任の際、裁判所は、不公平な判断をする恐れのある候補者を外すことができる。問題となるのが死刑廃止論者の扱い。最高裁は三年前、候補者への質問例として「絶対に死刑を選択しないと決めているか」など、死刑を下せるか判断する材料を各地裁に示した。
 最高裁幹部は「死刑制度の是非ではなく、法に従って判断できる人か見極める必要があるのでは」と話す。
(TOKYO Web、2010年10月17日朝刊、「死刑適否迫られる裁判員 5地裁審理へ」)

これに対して「異論」があることを上記東京新聞の記事は伝えている。

 しかし、現場からは異論も。ベテラン裁判官は「内心の問題に踏み込むと、際限がなくなる。宗教上の理由で死刑を下せない人には辞退を認めるべきだが、単なる死刑廃止論者を排除する必要はない」と話す。

もし判決が全員一致でしか下せないのだとすると、死刑廃止論者がただ1人いるだけで評議が行き詰まってしまう可能性があるから、その場合であれば最高裁死刑廃止論者の存在を気にすることはとりあえず理解はできる。しかし実際には判決は「合議体の員数の過半数の意見による」とされている。たしかに今の日本では死刑廃止論者は少数派ではあるけれども、裁判官3名+裁判員6名で構成される合議体の場合にはその中に1人はいてもおかしくない程度の人口比では存在しているわけで、あらかじめ死刑廃止論者を排除するならば、評議に反映される「市民の声」は歪められることになるのではないか。もちろん、裁判員死刑廃止論者が含まれていることが判決を左右するケースも出てくるだろう。しかしそれを「不公平」だとして排除するというなら、極端な厳罰論者もまた排除されなければスジが通らないだろう。
(法定刑が死刑しかない外患誘致罪で起訴された裁判の裁判員死刑廃止論者が含まれていた場合、彼ははじめから「無罪」という結論を用意するか自分の信条を枉げるかの選択を迫られることになるが、まあこれは非常に蓋然性の低いケースだからここでは考慮に入れていない。)


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まず第一に、私が死刑廃止論者であること。したがって「排除されるのか?」という問いは単に第三者的な視点からのみ問題になることではなく、私自身にとって切実足りうるものであるということ。まあ現時点では裁判員の候補になっていませんが。
第二に、裁判員制度については、抽象的な水準では強く賛成するものでも強く反対するものでもありません。運用次第でメリットが上回ることもあろうしデメリットが上回ることもあろう、と考えるからです。ただ、全体としてはメリットが上回るがこの個別の裁判に関する限りデメリットが強く現れてしまっている、という事態は起こりえます。そのようなケースについて評議のプロセスをいかにして検証するかは重要な課題であろうと思います。